浦安市の新旧の人・文化交流の融合(時間をかけて更新します)|千葉県浦安市
千葉県は大規模にきれいで整った街の近くに、必ずと言ってよいほど昔栄えた旧市街地があります。
印西市「宿場町木下と千葉ニュータウン」
柏市&我孫子市「我孫子と柏」「柏と柏の葉」
流山市「市役所付近と流山おおたかの森」
佐倉市「城下町とユーカリが丘、染井野」
千葉市&習志野市「市街地と幕張新都心」など。
新旧がごちゃっと混ざっているわけではなく、街全体がハッキリと区域で分かれてしまうところ。
どの街もお互いの街の距離感は3km~4kmほどなのに、まるで世界が変わる。
盛者必衰・諸行無常だな、という言葉でもまとめられますが、
この最たる例に浦安市を挙げれば、古くから千葉県を知る人は「そうそう、そうだよね。」
と反応するのではないでしょうか。
浦安市「漁業の町とリゾート」
どこの街も受け入れる側と移住する側が区域ではっきり分かれる自治体では、成り立ちの知識や交流不足のため、なんとなく別の町として意識の隔たりが出る気がします。
それが当然です。
新しい街に住む方々は、新しいお店、新しいスポットに意識が向き、古いものや町の歴史に興味を持つことも、知る機会も、それを知る人と出会う機会も少ないからだと私は感じています。
共通するのは、新しい街はもともと雑木林や原っぱ、海など、人がほとんど住んでいなかった広大な土地。
浦安も昔はその町のひとつでしたが、上手に長い時間をかけてその機会を作っていったのが浦安です。
余談ですがそういう意味では佐倉市・市川市が素晴らしいです。
この後、全面的に浦安市を褒める流れになるので、気になる方はここで離脱することをお勧めします。
できれば、地元と比較して学べるところがあればそれが一番理想なのです。
もくじ
浦安市は文化伝統の融合に成功した町?
久しぶりに訪れた浦安市。
浦安市郷土資料館に行くと、親子連れや若い女性1人で訪れている姿もあります。
郷土資料館ですよ。
他の街の地元の歴史を保存する資料館になぜこんなにたくさん若い人が訪れるのでしょうか。
私は、
浦安市は昔から住む住民(いわゆる土着の人たちのエリア)
と
新しい住民が住む町(いわゆる新浦安駅から海側に進んだエリア)
の人たちの文化交流、融合に成功したのでは?と思いました。
結論から言うと、
・古くからの住民は昔から変わりすぎていく浦安を柔軟に受け入れていった。
・新しく住む人は浦安の歩みや成り立ちを知り、それらに敬意を持つようになった。
お互いに認め合い尊重しあうから、住む場所も生活圏も異なりながら、より新旧の街の活性化につながった。
双方の街に個性が出ているのです。
こういう意味では成田市も良い例です。
「空港」と「新勝寺」の2大巨頭の観光地でありながら、住む人の多くはニュータウン。
でも昔から農業を営むエリアが面積の大半を占めます。
各地にも寺社があってそこの地区にも大きめの街があります。
それぞれエリアの個性が出ていて魅力があるのです。
さて、浦安市。
お互い交流もないのに偏見だけで、新旧で分けて対立する町ではない。
そんな街に見えました。
その理由に、「新しく住んだ人」と「浦安に古くから住む人」のすべての努力があったことは外せませんが、そこに「浦安市役所の努力」は目を見張るものがあります。
理由1:浦安市は市内の各所に浦安の歴史をぶっこむ作戦
理由2:全く新しいと思われがちな浦安に古くから残るものを残してきた人たち
理由3:地元メディアの中立的で永続的な発信
理由4:住民は原点となる元町に必ず行く仕組み
理由5:浦安市郷土資料館ができすぎる
理由6:市内のどこに住んでも市内のどこにも行きやすい交通網
理由7:市域面積が狭い
浦安もかつては分裂していた時代があった
舞浜に住んでいた頃
私が浦安に住んでいたとき、当時は印西の親の実家周辺の方がはるかにお店が多く便利だったのですが、
私は当時同じようにお店が並ぶ浦安駅方面ではなく、新しくできた新浦安周辺に出向くことが多かったです。
今私は、ほかの土地に行くと古くから独自に成り立った街並みに興味を持ち、歩きたくなるタイプなのですが、当時はやはりその町に無知だったもので…いわゆる新しいニュータウンのみで生活する人そのもの。
全然真逆ですよね。
今はアメリカやヨーロッパの真似ごとを並べたような町より、古き時代から住む人によって作られた日本らしい町の方が魅力を感じます。
それはアメリカにもヨーロッパにも住んだことがある今だからかも。
あくまで趣向の観点であって、どっちも良さがあって住めば都ですけどね。
でもニュータウンって単純で受動的で住みやすいんです。
ニュータウンなのでそこに行けば完結する。
イベントごとは自治体や企業がやってくれる。
あとは通う場所に行って帰って寝るという。
生活が簡単です。
お祭りひとつとっても、昔からの地域の祭礼は地元の人が、お昼ご飯も夜ご飯も手作りして、おやつもデザートも作って、訪れた全員に無料でふるまうのが当たり前の姿で、これが日本全国の昔ながらのスタイル。
新しい街のイベントはお店が並んで、お客さんがお金を払って買って、団体を呼んでショーが開かれてそれを見るスタイル。
企画側は異常に大変ですが、参加側は労力を必要としません。
だから同じ地元でも人との交流はなかなかできません。
元町浦安駅方面にいくのは、職場の歓送迎会、お疲れ様会のとき。
Googleマップもなかった時代なので、浦安にちょこちょこ行くことが無かったのです。
というか何があるか知らなかったので、誰でもわかるショッピングセンターで用事を済ませていました。
その頃は新町の入居は始まっていなかったのか、人がほとんどいないだだっぴろい景色に、大きな建物がずどーんとある状態。
私の周辺だけかもしれませんが、
「浦安?」「埼玉県の県庁?」
「浦安って何があるの?」
と聞かれていた時代。
「ああ、ディズニーランドがあるところでしょ?」
と知っている人の方が少なかったです。
ふたたび舞浜へ
その後舞浜へ10年単位で通う時代が訪れました。
この10年の間、浦安市は街自体も、周りからのイメージもとてつもなく変貌していきます。新町の躍進です。
歩道に小川が流れ、美しく整備された新町は、誰が見ても「いいわ~」とうなる街並みでした。
そこに住む方々、もちろん同僚も友人もいるので、なんら地元印西の人(自分)と変わらないので同じように付き合えるのですが、いつしか世間のイメージというものが持ち上げられていった気がします。
元町|浦安駅周辺
雑然とした街並みに昔からの住民
活気がある
地元の人が作るイベントが多い
東西線が混んでいる
新町|新浦安周辺海側
整然としてゆったりした街並み
個人店が少ない
民間企業主導やお店を集めるイベントが多い
京葉線が空いている
久しぶりの浦安
浦安には親戚が2組、知り合いも友人も住んでいますので、ちょこちょこ行くことはあるのですが、
改めて浦安の街を歩くと当時とは全然違うことに気づきました。
ということで、100%記事を書き上げて公開するスタイルではなく、内容を改善、精査しながら書くというスタイルでいきます。
今回はここまで。
続きはまた。