浦安市舞浜3丁目に住んだ時の話|ちょっと昔の舞浜の歴史
もう25年以上も前(これ以上細かくは言いません)。
とあるきっかけで千葉県浦安市舞浜3丁目に住んでいたことがありました。
個人ブログの想い出の記録として、当時のことを思い出しながら書き記します。
もしかしたら今では絶対信じてもらえないような話も飛び出すので、当時はこんなだったんだよ、ということを知ってもらうためにもたった1人の元住人の記録として、読み物として見ていただければ幸いです。
もくじ
舞浜に住むきっかけ
「そもそも舞浜3丁目に住んでいたこと自体ウソでしょ」
と思われる方が9割を超えると思いますので、なぜ住むことになったのか、当時のことを書きます。
「ああ!あそこのご自宅ね。」
とわかってしまうのですが、実は当時はまだほとんど売り出し中で、仲良くしてたご近所さんも当時の年齢を考えれば、今はかなりのご高齢。
今書いても何も問題はないかと思うので、当時から住まわれている方がもしいらしたら、
「懐かしいわねぇ。」という目で見ていただければ。
親戚の出来事
私が舞浜に住むことになったのは、
当時そこに家を買った親戚が、身内の都合でしばらく家をあけることになったから。
私自身が付近に通う用事があったから。
の2つが重なったからです。
もう一つあるのですが、これを書くとかなり身の上のことをバラすので、内緒。
親戚が家を買った。
ということは、つまり今も住んでいます。
個人的に舞浜の●●さん家族とは仲良くしてるので、今日の今行ってピンポンできる関係です。
ということは人によっては家わかっちゃうんじゃない?
となりますが、上述の通り、当時は売り出し中でまだ空地も多く、わかる方はお隣さんくらいかなと思います。
あと舞浜3丁目の売り出し年から、どこから順番に売り出されたかがわかる人ですね。
慎重に考えてみましたが、主旨は
「舞浜3丁目ってこんな歴史があるよ。」
という誰も知り得ない、興味もない、発信もしないであろう記録が目的です。
そんな側面から、
・新しいイメージを持たれがちな浦安
・憧れのイメージを持たれがちな浦安
・実は歴史もある浦安
・素朴で等身大な浦安
などがこれを通じて意外性をもって伝わればと・・。
写真はほぼないです。
なんといってもまだコンデジも高価だったので、標準がFUJIFILMの写ルンです時代ですよ。
ほとんどアナログです。
なので、ほぼ当時の写真はないのです。
まさか売り出し中の舞浜の写真なんて、フィルムで撮ることなんてなかったので。
(現像1枚ごとにお金かかった時代ですよ。)
舞浜の歴史

おおぅ。
舞浜に歴史もくそもあるものか!埋立地でしょ?
という言葉が出てくるかもしれませんが、埋立地にもそれなりに歩みというものがあります。
舞浜1丁目

舞浜1丁目は東京ディズニーランド一帯です。
なーんにもなかったわけではなく、千鳥地区方面を除く海側はほとんどが駐車場だった気がします。
ただ、今のように展望エリアは作られておらず、気軽に東京湾側には行けませんでした。
舞浜2丁目京成ローズタウン

私の記憶の中では「京成ローズタウン」。
京成グループが主体で開発したと聞いていました。
舞浜2丁目が最初に開発されました。
今は舞浜ローズタウンとなっていますね。
舞浜駅から見て首都高湾岸線+湾岸道路の向こう側です。
戸建てしかなかったと記憶しています。
にしてもひどい写真のブレ。
舞浜3丁目三井など

そして今のイクスピアリ裏向かいの舞浜3丁目の開発がはじまりました。
当時、戸建てのみの住宅で、私の親戚の家周りは三井でした。京成も作ってた気もしたのですが。
舞浜3丁目の開発が始まったのは、1987年 (昭和62年) のことです。
私が住んでいた頃はもっと街の形になってからなので、ずっと後ですが、
もちろん当時はイクスピアリも、東京ディズニーシー(2001年9月4日開園)もありませんでした。
さあさ、私が住んでいた頃は、けっこういろいろな出来事が1年単位で動いていた時期なので、言っても言わなくてもなのですが、少なくとも1980年代~90年代初頭ではありません。
ただ、世の中で「バブルがはじけた~」っていう後ですね。
舞浜3丁目はその転換期前後に売り出しがはじまって、けっこうセンシティブなところに行きつきますので、これ以上は書きません。
この歩道橋を何百回歩いたか。
舞浜の名前の由来
住んでいた当時は、アメリカのフロリダ州にあるディズニーワールドの近くのマイアミという地名になぞらえて、マイハマと名付けたと聞きました。
オリエンタルランド50年史や浦安市史にも、舞浜の地名がマイアミビーチをイメージして付けられたという記述がありました。
しかし、その後伝統神楽「浦安の舞」の舞にちなんだ名前という説に変わったようです。
「美しく舞う浜」これをリゾートエリアとしてふさわしい地名として、そして日本の誇る「舞」をオリエンタルランドの事業成功に引き継ぎ託す思い。
こんなに最近の話なのに、違う「説」があるってなかなかファンタジーのような世界ではないですか?
どちらの説も、「リゾートの浦安」「浦安の歴史」にちなんだお話なので、2つセットで覚えると粋な名称だと個人的に思っています。
私はどちらのお話も好き。
歴史は常に「諸説あります」がつきものですね。
含みや想像があるから面白い。
浦安の埋め立てに、オリエンタルランドの高橋まさともさんは、何度も何度もお酒を飲み交わし、漁師たちと話し合い、浦安の未来を語らったそうです。
その未来への思いと、浦安、日本の伝統がひとつに込められた「舞浜」。
私はそんな素敵なイメージを抱いています。
お店がなかった舞浜3丁目
私が住んでいた頃、舞浜3丁目にはお店がありませんでした。
自転車屋さんがトラックで毎週金曜日に出張に来てくれたのと、見明川近くに自動販売機があったんです。
見明川の向こうにパン屋さんがあったかと思います。
私の生活の中ではそれだけが記憶に残っています。
あ、あと東京ディズニーシー方面にローソンがあります。あそこは舞浜ではなく弁天。
あのローソン、相当昔からありますね。
京葉線沿いのガスタンクみたいなのも。
サンケイ関係の会社もあったような。
当時の買い物

写真は2007年の新浦安駅前なので、ダイエーのロゴが変わっています。
本当は見明川を渡って浦安方面に行けば一気にいろいろお店があるのですが、
舞浜3丁目からだと川を渡るための坂があったので、新浦安方面に出向いていました。
当時ヤオコーも無かったし。
でも今思うと絶対富士見方面の方が便利だったなぁ、と思うのですが、当時の私の行動範囲の狭さというか、視野の狭さ。
今みたいにGoogleマップも無い時代です。
私は舞浜駅で電車に乗って、
新浦安駅前のダイエーで食材を買って、
野菜や牛乳が詰まったダイエーの袋を持って舞浜駅で降りる。
という生活。
だんだんスーパー帰りに舞浜で降りる、というサイクルになんとなく気が引けて、別の場所を開拓しました。
自転車で見明川を渡ったしばらく先にリブレ京成というスーパーがあったのです。
当時はそれくらいしかスーパーが無かったので、多くはリブレ京成だったかなぁ。
1990年代後半の地図から見る舞浜

過去に昭文社さまから同じ目的での地図の使用の許可をいただいていますので、掲載しています。
こちらが舞浜地区。
海沿いを自転車で走ると、ちょっとその広さに引き返すか引き返さないか、どこまで続くんだろうこのコンクリートの壁。いやまてよ、どこまで行っても戻れなくない?
なんとなく怖かった印象があります。
リゾートとしてはまだ「東京ディズニーランドと浦安市」がブランド化されたイメージはなく、
「浦安ってどこ?何があるの?」と聞かれるような時代(世代?年齢?)でした。
そして、広域の地図がこちら。

少し範囲を広げると、現在クリーンセンターがある千鳥地区は何もなく、鉄鋼団地の向こう側の新町は道路だけが敷かれています。
当時は浦安の中心地にはほとんど縁がなく、市場やまんぷく食堂を見つけるまでの道のりも遠く、まるで見当違いな未開発地域をサイクリングしていた時期。
逆にそれがむしろ貴重な経験と記憶として残っているのかもしれませんね。
地図の一番右上の、凹になっているところ、わりと親子で魚釣りをしている人がいて、のんびりしていたので、よくそこまで行ってました。
その時代には信じられないくらい空が広く、景色がきれいだったので、気持ちよかったのです。
望海の街・潮音の街
たぶん当時の住都公団か現在のURの開発だと思うのですが、
新浦安の海側は望海の街・潮音の街という街区を開発中。
高層のマンションが次々と建てられました。
自転車で回ると、まだそこかしこに空地が広がり、いろいろなところで釣り人を見かけていました。
これからの街。
という、「街・町・土地」に視点も興味もなかった若かりし頃ですが、なんとなくあの頃の浦安の新町が懐かしいなあ、という記憶だけがほんのり残っています。
その後その街に住む知人、友人が増え、景色も変わりました。
イトーヨーカドーができたり、大江戸温泉物語ができたり、その後も変化し続けています。
新町・中町・元町
さきほどから新町、新町と言いましたが、
浦安市はエリアによって新町・中町・元町と呼ぶことがあります。
もしくは海側山側。
元町
元町は漁師町時代の面影が残る古い街並みの堀江や猫実、北栄など。
市役所があるのは元町。
中町
中町は第1期埋立地でベッドタウンとして開発された京葉線周辺から山側のエリア。
舞浜は中町です。新浦安駅周辺も中町。
開発時期は1962年~1975年(昭和39年埋め立て~昭和50年完成)
新町
新町は第2期埋立地で日の出・明海・高洲などのいわゆるヤシの木並んでそうなエリア。
開発時期は1975年~1981年(昭和47年着工~55年完成)
私にとっての舞浜
以上のような経験もあり、私にとって舞浜は
身近な場所であるけど、特殊な場所ではなく、
落ち着く場所だけど、特別さはなく、
それでも想い出の地として記憶に残っています。
何度も涙することもあり、笑うこともあり、人生で最もたくさんの人たちに救われた場所。
何の縁なのか、実家に戻ってからその後も私はタイ語を習うために浦安駅付近に通ったり、
浦安駅前や新浦安駅前の路上ライブに通ったり。
いわゆる腐れ縁というやつです。
長年お世話になった人も、もういないんだな。
と思うと胸詰まる場所。
この場所から独立して、私はその後仕事でアメリカへ行きました。
この場所があったからこそできたことが多すぎます。
舞浜。
浦安市は確実に人生で2番目に時間を費やしている場所となりました。
そんな浦安にたまに行くと、
名物「アサリ丼」を食べたり、
堀江の境川を眺めたり、
まんぷく食堂に行きたくなったり、
「ディズニーっ気のまったくない浦安」を楽しむのがたまらなく懐かしくも楽しいのです。
そうでなくても、東京ディズニーランドのピクニックエリアで半日過ごしたり。
遊びに行くよりも、ただそこにいたい場所。
心からありがとう。