白鳥の郷の歴史
はじまり
1992年。
農業用の排水工事をしているタイミングで大雨が重なりました。
田んぼは水が溜まった状態のまま冬を迎えます。
そして偶然白鳥が水田に降り立ったのです。
その時はたった6羽。
えさやりと葛藤
当時6羽の白鳥のためにエサをあげようとしても白鳥は警戒して寄って来ませんでした。
しかし、この水田を管理する出山光男さんが毎日決まった時間に同じ服装で顔を出し、エサをあげ続けました。
偶然降り立った白鳥にエサをあげても、すぐに飛び立っていなくなってしまうだろうし、来年来るとは限らない。当時は周囲の人の関心は薄かったのです。
そして白鳥たちは暖かくなるころにシベリアへ帰って行きます。
いったいなんだったんだろう?って思いますよね。
でもまるで我が家族のようにエサをあげ続けたことを白鳥たちは覚えていたのです。
翌年から倍増した白鳥
たった6羽の偶然の渡来。
しかし翌年12羽の白鳥がやってきたのです。
そこで出山さんは毎日同じようにエサをあげ続けました。
するとその翌年1993年には23羽、その後もどんどん白鳥の数は増え、1998年には125羽の白鳥がやってきたのです。

最高数は1380羽 (2019年までの間)
毎年のように増え続ける白鳥。
2012年には1300羽を超える白鳥がやってきました。
「本埜 白鳥を守る会」発足
そして1995年、白鳥の定着が世間にも知られるようになったころ、この白鳥の居場所を守り、元気にシベリアに帰って行けるようにと、白鳥を守る会が発足しました。
メディアの露出も増える中、白鳥にとって招かざるものや事態も多くなるかと思います。印西の環境の変化も白鳥にとっては驚くことでしょう。
けれど、この風景がいつまでも変わらぬよう、印西市民みなさんで見守っていきたいですね。
また冬季限定とはいえ、印西市各所にとどまっているコブハクチョウのように、農作物への影響なども懸念する方もいるかもしれません。
人がむやみにエサをあげたりして、バランスを崩さないようその環境を守ってくれています。