木下駅 (きおろし駅)
開業
1901年4月 (明治34年)。
想像もつかない時代ですが、当時はまだ利根川水運が盛んで自動車は上野周辺を試運転していたころ、まだ日本社会に出ていない時代です。
成田駅の跨線橋
東京駅よりも歴史のある駅です。旧駅舎時代に長年使われていた跨線橋 (オーバーブリッジ)は、国鉄時代の成田駅で使われていたものが昭和10年に木下駅まで運ばれてそのまま使用されていました。この線路と木でできた橋は歩くととてもあたたかみのある音を響かせていました♪
印旛高校生の手作り座布団
また、駅構内の木造の椅子には、今は移転してしまった印旛高校生の手作り座布団が置かれていました。新駅舎ができるまではなんともほっこりする駅だったのです。
また駅構内にはお花がいつも植えられ、駅員さんは毎日駅のホームを掃除していたようです。
駅の全盛期
当初、現在の木下よりも東側 (木下河岸の宿場町の中心地)に駅の設置が予定されていましたが、最終的には現在の位置になります。当時この駅周辺には何もなかったとか。
駅舎ができてから木下界隈は駅周辺までも物流や人の交差が盛んになり、駅はあふれるほどの乗降客があったといいます。
銚子から水運で木下に到着し、ここから木下駅を利用した行商の人たちが駅前で朝市場を開いていたのも数十年前まで見ることができました。
JR成田線の中でも重要駅とされ、狭い駅前は多くのバスの発着所となっていました。
当時は3番線まで線路があり、行先も木下駅折り返しなどというものも見られた時期があります。
建て替え
100年の時を生きてきた木下駅。古びた跨線橋も駅舎もずいぶん歳をとりました。
バリアフリー義務化の流れもあり、木下駅は建て替えという道に進みました。
印西牧の原駅が開業するあたりまではニュータウンからも利用者が多かった木下駅。地元からずっと愛されてきた木下駅は当時を知る今生きている人々の記憶からも消えつつあります。
新駅舎
100年の時を刻む駅は老朽化と共にその役目を終えます。駅舎は2008年に生まれ変わりましたが、できるだけ昔の趣を残したデザインとなっているようです。
それにしても昔の駅舎は写真を見るだけであたたかみを感じるのぅ。