印西のイベント

木下の祭り「竹袋稲荷神社祭礼2023」と竹袋稲荷神社|千葉県印西市の伝統祭り

木下(きおろし)の地名の由来

室町時代1383年 (永徳3年) 竹袋稲荷神社が再建されました。
その時、
「里見家により寄付された材木がいかだによって運ばれ、この岸に下ろされたことで、木下と称されるようになった」
という説があります。(諸説あり)

これが正しいとか間違っているかよりも、これだけ竹袋稲荷神社は地域に親しまれ、木下という地と竹袋稲荷神社には、切り離せない関係性があると考えられますね。

今回はそんな「木下のお祭り」の紹介。

木下は「きおろし」。
竹袋は「たけふくろ」と読みます。

記事公開:2023年9月29日。総代に許可・打ち合わせ・確認済み。
レポートはとある年のお祭りの様子ですので、年によって内容・写真は異なります。
興味を持ってもらうことを目的としています。「こんな感じ。」程度にご覧いただければ助かります。ここからさらに興味を持っていただける人が増えることを願って・・・。

祭礼の会場は木下地区

今回の舞台は木下駅を中心とする「木下」という住所が付くエリアと竹袋エリアです。
各地区が別々に地区を練り歩くため、非常に広範囲です。

 

竹袋稲荷神社例大祭2023の開催内容

催日時

20231078

 

催場所

葉県印西市木下周辺

車場
詳しくはこちら

イレ
にぎわい広場・木下駅外・総合福祉センター・木下万葉公園など

辺の飲食店+お店

詳しくはこちら
+
kitchinソル・拓海・3姉妹・けやき・アルプス・すき家・宝島・不二家・くるまやラーメン・ビジネスホテル印西・銚子屋旅館・寿司処澤石・そば処栄屋・多肉園おひさま・ふとんショップcova・リフォーム商品展示トレジャーミーティング・ホンダドリーム印西・ワークマン+・メガネハット・ドラッグストアセイムス・千葉信用金庫など(お土産はpit in サンキュー日曜休み)
+
7日 (土) 木下駅南骨董市開催
駄菓子屋「あめちゃん」なども出店予定

※イメージをつかむためにざっくりとした雰囲気だけをお伝えしています。

竹袋稲荷神社祭礼とは

竹袋稲荷神社木下の祭り

竹袋稲荷神社祭礼とは、千葉県印西市木下・竹袋界隈のお祭りです。
竹袋稲荷神社は高台の竹袋にあります。

神社のはじまり

「奈良時代711年 (和銅4年) に「京都伏見稲荷大社」の分霊社として創建」

という説と

「鎌倉時代1288年 (正応元年)に「京都伏見稲荷大社」より勧請した」

という説があります。

印旛郡史と木下町史では711年と記録されており、稲荷神社として記録として残るものをたどると奈良時代から約1300年もの間信仰されてきました。
※厳密には定かではありません。

「お稲荷さん」の正式名称「倉稲魂命 (うかのみたまのみこと)」という五穀・食物を司る神様が祭られています。

278年の歴史「御浜下り」

竹袋稲荷神社祭礼のお祭りが現在のようなスタイルのお祭りになったのは約278年前。
神輿が神社から下ってくることで

「御浜下り (おはまくだり)」

と呼ばれる祭事としてはじまりました。

※コロナ禍などで開催されていない年もあります。

当初神社では秋の収穫が終わったころ、今年の豊作に感謝するために秋にお祭りがおこなわれていました。

稲荷神社は時代とともに、商売繁盛・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神としても信仰されるようになりました。

「お米・野菜いっぱい実ってありがたや!感謝!」
「商売繁盛!家内安全!芸能も上達しますように!」

竹袋稲荷神社に奉納されている御神体を乗せた神輿を担いで、かつては毎年3日間かけて木下の街を巡行していました。

当初は山車は出ておらず、山車が出たのは大正時代と言われています。

※2023年は2日間。規模は縮小し、山車は3台。土曜日は神輿を車に乗せて回り、日曜日に担ぐ予定です。

3つの町内

 

木下は3つの町に分かれています。
上町・仲町 (しもちょう)・幸町。
区分けは、

幸町

木下駅北口一帯

下町 (仲町)

木下小学校周辺~吉岡蔵周辺

上町

木下駅南口~木下南

各町には1人ずつ竹袋稲荷神社の頭、氏子総代がいます。

お囃子は「神田囃子」が主流でしたが、
1973年 (昭和48年)に「木下囃子保存会」が発足、
1975年 (昭和50年)に「睦会」が発足しました。

 

お祭りの規模

木下の祭り竹袋稲荷神社祭礼の山車

印西市内では神輿や山車の数が最も多いお祭りのひとつです。山車が集まると圧巻。

神輿 (みこし)

計3基

神社神輿1基
万灯神輿1基
子ども神輿1基

山車 (だし)

計5台

3台
囃子(保存会)1台

子ども山車1台

※開催年によって異なります。

木下の祭り竹袋稲荷神社祭礼の神輿

神輿は基本的には地元木下地区の人が白装束を着て、お祓いした人のみが担げるものです。

今日は神様が乗っていないからと撮影許可。
お祭りは由緒ある神社をもとに行われているため、関係者の神輿に対する敬意も伝わります。

お祭りは周辺の道路の交通規制まで行われます。

竹袋稲荷神社祭礼

木下の祭りの範囲は広く、それぞれが別々の地区を巡回しています。
遠くで太鼓や笛の音が聞こえ、そこに行けば合流できるかわかるかもしれませんね。お祭りの音や掛け声が響き、街中がお祭りムードになります。

木下の祭り「竹袋稲荷神社例大祭」の夜

 

地域への貢献

竹袋稲荷神社祭礼

当日は地域の人たちによって炊き出し、まぜごはんおにぎりなどが作られ配られます。
※以前は町ごとにハチマキの色が異なり、各町でお菓子が配られました。
※おにぎり券と交換の地域あり。
昔から個人商店や飲食店が多い商業の街木下では、町内の若人たちが商売繁盛を祈願して舞ってくれます。

 

見どころ

木下駅前の競演

木下の祭り竹袋稲荷神社祭礼の木下駅前の競演

かなり昔はトビのはしご芸などが行われていましたが、現在は花火のみのことが多いようです。

※開催年によって内容は異なります。

 

山車神輿の競演

木下の祭り夜の競演

夕方に神輿と山車が集結して競演が行われます。
場所は開催年や日程によって異なりますが、木下駅前や上町会館前が多いようです。

※写真は上町会館前。
※年によって場所が変わることがあります。

 

山車 (だし)

木下の祭り竹袋稲荷神社祭礼の山車

木下の山車は、六軒の厳島神社祭礼とは異なる昔ながらの山車です。

向きを変えるときは長く太い棒で「せーの!」と一斉にテコの原理を使って体重をかけて山車の方向を変えます。
山車は「ガガガー!」という地鳴りをたてて動きます。
その勇ましい姿はなかなかのもの。

また、開催年によりますが、とても小さなかわいい子ども山車が出ることもあります。

 

半被 (はっぴ)・はんてん

竹袋稲荷神社祭礼の半被
竹袋稲荷神社祭礼の半被
竹袋稲荷神社祭礼の女性の半被
竹袋稲荷神社祭礼の半被

木下竹袋稲荷神社祭礼では、それぞれの地区で異なる半被 (はっぴ)・半纏 (はんてん) を着ています。

そのデザインも様々で、
「木下風」
「きおろし」
「稲荷神社」
「幸町」
「木下上町」
など色も字体も特徴的。
そして女性が着る半被の中には、華やかな赤に花笠とセットのかわいらしい姿もあります。

 

出店 (上町観音堂)

木下の祭りの出店露店

木下の祭りでも出店がでます。
その場所は時代によって変わりますが、近年は「上町観音堂」が多いようです。
食べ物や飲み物、お土産など、さまざまなものが販売されています。
焼き鳥やおでん、たこ焼き、焼きそばなどの定番の屋台、地域特産の郷土料理、ビールや日本酒、ソフトドリンクも販売。
昔ながらのカタヌキや射的、お守りや絵馬などの神社グッズまで、さまざまなものがあり楽しめます。

※開催年によって内容は異なります。

 

運行スケジュール

10月7日(土)

※土曜日は神輿は車に乗せて移動します。
※今年は山車を1台出さず、規模を縮小して催行します。

竹袋稲荷神社土曜日神輿運行表 竹袋稲荷神社土曜日神輿運行時刻表 竹袋稲荷神社土曜日山車運行表 竹袋稲荷神社土曜日山車運行時刻表

10月8日(日)

竹袋稲荷神社最終日神輿運行表 竹袋稲荷神社最終日神輿運行表 竹袋稲荷神社最終日山車運行表 竹袋稲荷神社最終日山車運行表

おすすめの来訪スケジュール

土地勘がない木下の民でない人がお祭りを見に行きたい場合のおすすめのタイミングは、

10月7日(土) 17:00頃 木下駅北口
10月8日(日) 17:30頃 上町会館
または
10月7日(土) 12:30頃 木下駅南口商店街骨董市

開催場所と木下への行き方

開催場所:千葉県印西市木下周辺

山車練り歩きの範囲

木下のお祭りの範囲

ピンク色の範囲がおおまかな範囲です。
本当にざっくりとしていますので実際の範囲とは異なります。
イメージとしてとらえていただければ。

電車・車の場合

電車の場合

現在のJR木下駅

JR成田線(常磐成田線・我孫子支線・上野東京ライン)木下駅北口もしくは南口下車

範囲は木下駅北口は中央公民館周辺~木下小学校~木下東付近、南口は国道356号線付近~竹袋付近。

車の場合

木下のお祭りは、広範囲にわたって3~4地区の山車がそれぞれの地区を練り歩くため、「ココ」というポイントがありません。
そのため、木下駅周辺の駐車場に停めることとなります。

 

駐車場に関して

無料の駐車場

公式ではありませんが、時間的にも車の数的にも空いていれば
木下にぎわい広場 (トイレあり) 夜19時まで
中央公民館 (トイレあり)
木下水辺の広場 (トイレあり)
木下万葉公園・木下交流の杜公園 (トイレあり)
竹袋稲荷神社
注意:基本的に広場の利用者専用となります。地域活性化のために有効利用できればとピックアップさせていただきました。

2023年現在確認が取れているコインパーキング

木下駅北口信号左手すぐ
木下駅南口駅前
木下駅南口ロータリー右手約100mほど
木下駅南口ロータリー右手約200mほど
木下駅南口郵便局となり
木下駅南口商店街駅側
など

 




竹袋稲荷神社について

竹袋稲荷神社

この朱を基調とした配色が美しい姿。これが本殿です。

奈良時代創建の説 「印旛郡史」と「木下町史」

711年(和銅4年)京都伏見稲荷大社創建。五穀豊穣を願って農耕の神を祀ったのがはじまりといわれています。

鎌倉時代創建の説

1288年(正応元年)京都伏見稲荷神社より勧請したと伝えられています。

南北朝時代

1383年(永徳三年)里見家より良材を筏に組寄進、更に造営。
ここで「木下」の名前が浸透したと言われます。

室町時代

1571年(元亀二年)再建。

江戸時代

1602年(慶長七年)徳川家康公検知の際、田方八畝歩 朱印地となります。
1615年(元和元年)社殿を修復。
1654年(承応三年)再々建の記録あり。
1769年(明和六年)本殿・拝殿・石段ができる。

大正時代

1915年(大正四年)幣帛料供進の神社に指定。

ご祭神

「伏見稲荷大社」のご祭神は「宇迦之御魂神 (うかのみたまのかみ)」など五柱ですが、
「竹袋稲荷神社」は、「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」一柱のみです。

「うかのみたま」とは、日本神話に登場する神です。
「古事記」では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
「日本書紀」では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
と表記されています。

「稲荷神」は元来、五穀豊穣を司る神様でしたが、時代とともに、商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神としても信仰されるようになったようです。
こうして商業の街木下の商売繁盛にもつながります。

現在の「拝殿」は、1935年 (昭和10年) に再建された「入母屋造」。

 

境内

本殿

竹袋稲荷神社本殿

江戸時代1769年 (明和6年) に建立。
2009年 (平成21年) に改修、色彩も復元。

拝殿

竹袋稲荷神社

鳥居

竹袋稲荷神社の鳥居

 

所在地:印西市竹袋141
敷地面積:ー
施設
本殿
拝殿
一の鳥居
1925年 (大正14年) 製二の鳥居
1826年 (文政9年) 製の石灯篭
三社安産講・伊勢参宮大神楽記念碑
絵馬

駐車場

近隣のトイレ

木下駅北口改札外
木下駅南口改札外
木下駅北口水辺の広場
木下駅北口中央公民館
木下駅南口にぎわい広場
木下交流の杜広場・資料館
木下万葉公園・交流の杜公園
総合福祉センター
印西市文化ホール・市役所
など

 

近所の散歩

裏路地

木下の裏路地

木下の街は細かい路地が多いです。

木下周辺は家の敷地から玄関までのアプローチが十メートル以上ある邸宅も多いのですが、その敷地の外脇に裏路地というか小径を発見することがあります。
この際ぜひ小径をたどって動いてみましょう。
「え?ここ入っていいの?」
と思うような場所も、子どもたちには安全通路です。

 

大正・昭和レトロ

木下の街並み

江戸期以前の建物はほとんどなくなってしまいましたが、
それでも今でも昭和や大正レトロな建物や看板などをたくさん見かけることができます。

上の写真のものを全部見つけてみましょう。

 

極近電車と踏切

木下駅の保線車両

木下駅周辺には自動車が通れないほどの幅の踏切が数か所あります。
まず踏切を見たことがないというお子さんも多いと思いますが、そこから見える電車の近さ。

ポイント切り替え

そして極めつけは、レールのポイント切り替えが目の前で見られることです。
レールが「ウイーンガシャン」と切り替わります。

保線車両

運が良ければ駅にはJR東日本の保線車両が停まっていることもあります。
電車好きっこには新鮮ですね。

 

木下の地元民のお祭り

寄付

木下の祭りのお菓子

木下のお祭りは地元の人の寄付で成り立っています。

また、印西市内の企業、店舗からの寄付もあります。
写真にあるドン・キホーテさんは毎年お菓子の寄付をしてくれているようです。
もちろん木下周辺の商店、飲食店、事業所などの寄付は言うまでもなく…
他にも寄付しているよ、という企業さんがいましたらこちらに明記しますのでお伝えいただければ幸いです。

企業寄付

ドン・キホーテ

子どもと地元のお祭り文化

お祭りと言えば子どもたち。

木下地区は車が進入できないような細い小径がたくさんあります。
子どもたちはそんな小径を自由に行き来し、お祭りを楽しんでいるようです。

木下地区のお祭りの際は小学校の授業が早く終わり、みんなでお祭りに走っていき、夜山車を引き終えたら全員お菓子をもらってまた明日~。

という昭和の姿は今もあるのでしょうか。

昭和~平成の木下地区

かつて利根川の宿場町港町であった木下ですが、昭和期~平成は非常に多くのお店が連なっていました。

現在は印西市千葉ニュータウン地区にあるボーリング場や家具インテリアショップ、映画館なども木下のみにあった時代もあります。

木下駅周辺のお店(木下側)

スーパー 7軒(ライフ・マイチャミー・マック・ナリタヤ・BIG-A(大森)・麦丸屋(大森)・ドンドンなど)
ホームセンター家具(マツシタ・カクライ家具など)
薬局(エンドウ・中澤・宝田・イイダ薬局など)
服屋(月野和・かくらい・エコー・川島洋品店・はきもの松崎)・エドヤ
呉服屋(柴崎・石塚・太田屋など)
八百屋、魚屋、精肉店、花屋 3軒
時計店(伊藤時計など) 2軒
自転車屋、金物店 2軒
おもちゃ屋 3軒(アカガミ・なかざわ玩具など)
駄菓子屋 3軒(ハルキ・植竹・池田遊園地横など)
和菓子屋数件(かべとうなど)
書店 2軒(石川書店・山本書店)
電気屋 2軒(石井・丸七)
CDショップ(とんぼや)
木下レンタカー・北総交通
スポーツ用品店2軒
豆腐染野屋・大竹食品・田中屋酒店・片岡商店・いとう商店
カラオケ・ビジネスホテル正喜
モンテヤマザキカフェ・焼き鳥屋・中華料理天龍・宝山・成龍・そば・うどん・お好み焼きどんぐり・ハンバーガー屋など

徒歩で完結でき、ちょこっと買える店舗が並んでいました。

これは「大森エリア」と「六軒エリア」を除いた話です。
それらの多くは2000年~2012年頃まで残っていたかと記憶しています。

その数、数百軒。
今ではいんざいパルケが調査した駅徒歩10分圏内の40店舗ほどの飲食店を中心に、数を減らしながらも電気屋や医療、塾、習い事などが営業しています。
そう思うと大森地区を含めて250店舗は軽く超えていたものと思われます。

当時の人口と考えれば人口以上の人の往来があったのではと推測できます。

※古地図と私世代の記憶、お話をもとに書いていますので間違えていたらごめんなさい。

 

編集後記

ここまで読んでいただきありがとうございました。

このページは祭礼の総代と話を重ねて仕上げたものですが、ところどころ不確かなところはあるかもしれません。気になる箇所がありましたらそっと教えていただければ助かります。

いくつか面白みを持たせないと「歴史」というものがつきまとうイベントには見向きもされないだろうと思い、
なつかしいオブジェや電車ネタなども盛り込んでみたのですが、見つけたからと言っていんざいパルケからご褒美があるわけでもありません。ごめんなさい。

理想と葛藤

私個人、いつか「木下地区以外の子どもたちに山車引き体験をしてもらいたい」と思っています。
こういった歴史ある祭礼の多くは、「地元生まれの長男」だとか「地元の子」しか神聖な神輿を担げないなど、日本古来の風習もあります。

しかし、こんなに古くから続く祭礼がいくつも集まった地区が近いのに、
「千葉ニュータウンに引っ越してきた人たちの子たちが、古き日本の伝統に触れることなく大人になるのはもったいない。」
と感じていました。

その反面、歴史を学べば学ぶほど「古くからある神々しい神社の祭礼をエンタメ化してどうする。」
という複雑な思いもあります。

「六軒の厳島」と「大森の鳥見」と「竹袋稲荷」を一緒にやって
三社祭になったら素敵だなぁ、とも思ったり。
それが難しい話だとも理解できたり…。

持続可能なお祭り

こういった伝統祭りや地域祭りは、もちろん市の援助は無く、本当にそこに住む人たちの時間と労力とお金と関係性で成り立っていて、それはもう大変なこと。続けることのすごさを感じます。

今回お祭りに関わる色々な人と話してみると、山車引き体験に関しては「いいね!」と反応してくださる方が多く、課題となるマンパワー(夕食作りとか)などの問題を解決していけば、もしかしたらいつの日か実現できるかもと期待しています。

次世代へ伝えること

いずれの道に進んでも、このように記録として残すことで、これからの印西を生きる人たちが少しでも印西市の魅力に興味を持ってもらえたらと思います。
私にできることはこれくらい。

そして最後に、このような発信に協力してくれた総代をはじめ、お祭りを催行している木下のみなさまに感謝して終わりたいと思います。

 

竹袋稲荷神社例大祭

開催日 :10月7日~8日
開催時間:午前~22時頃
開催場所:千葉県印西市竹袋141・木下駅東側周辺