印西市の紹介

印旛日医大地区の紹介 (Imba Nihonidai)

印旛日本医大地区
ここでは印旛日本医大地区 (略して日医大地区)と日本医科大学北総病院を紹介します。




印旛 (いんば)

「印旛」という名の範囲はとても広く、そして歴史はとても深いのです。
かつて千葉県も半分近くが「印旛県」という名で成り立ち、「木更津県」と合わさって「千葉県」として生まれ変わった歴史があります。現在も印旛郡市 (佐倉・成田など)としてその名前は大きく残ります。
印旛村が印西市と合併しても、ずっとこの地名は生き続けるでしょう。
また、吉高や岩戸、六合や平賀など地域によって生活圏が違い、一概に地区として決められないのですが、いんざいパルケでは鎌苅から吉高周辺を日医大地区、岩戸周辺を宗像地区、西印旛沼をつなぐ水路を境に平賀地区で印旛を3つにエリア分けしました。

北総線印旛日本医大駅

北総線印旛日本医大駅はじめてみる人は「何だあれ!?」と不思議に思うこの駅舎。関東の駅100選に選ばれたモダンなデザインが目を引きます。千葉ニュータウンエリアの6駅で最も東に位置する駅になり、北総線の終着駅です。京成線成田スカイアクセスの特急停車駅になりますので、成田空港はすぐそこ。
計画段階では仮称として「印旛松虫駅、松虫姫駅」などというおしゃれな歴史ある地名が付けられていました。
駅のとんがり帽子には上がれる構造でできているようですが、一般には公開されていません。周辺は戸建てが多いため、ランドマークとしても駅の役割を持っています。
駅構内の天井も東京駅丸の内口を思わせるようなデザイン。

日本医科大学千葉北総病院

日本医科大学千葉北総病院駅名の由来にもなった病院です。東京文京区の千駄木にある日本医科大学が開設。
病院が駅名になるなんてあまりないですよね?何がすごいの?と思われるかもしれません。

まず1つ目は、2001年日本ではじめてドクターヘリを導入した病院です。有名なドラマ「コードブルー」や「ブラックジャックによろしく」をはじめ、数々のメディアにも協力露出していますのでご存知の方も多いかもしれません。
2つ目に、2004年に日本で初めて救急搬送支援システム「M-MOCS」を導入。これは救急車が近づくと自動的に信号を調整してくれ、円滑に病院に誘導する2つのシステムの統合です。
3つ目は、千葉県・茨城県広域の災害拠点病院に位置付けられていることです。例えば千葉市や茂原市などの千葉県南部での重症患者も、トリアージによってはドクターヘリで日医大に運ばれます。おおよそ15分~20分あれば県内の広域から茨城県、埼玉県東部をカバーできる機動力があるようです。

ただ、日医大はその実績と名前が上がれば上がるほど、印西市民には遠い存在となりつつあります。昔から町医者のように利用している方は多いのですが、今から新たにお世話になるとしたら死ぬか生きるかという状態でないと受け入れてもらえないと思った方が良いかもしれません。
それだけ今この時の治療を必要としている人が日医大に向かっているのですね。

 

ニュータウンと自然、歴史ある風土

印旛日医大エリアの風景印旛日本医大駅を降りると、大きな家やおしゃれなデザインのマンション、広々としたバリアフリーの歩道や道路、丘陵を活かした公園が広がります。そこは高台の森の中に現れた異世界で、静かでゆとりのある暮らしが広がっています。

 

 

印旛沼用水路一方、少し離れるとすぐに息を飲むほど深い森林が私たちを包み込んでくるでしょう。今まで見えていた人工的なものが一瞬で無くなり、目に見えるものは水と緑と空。
これが他の街にはなかなかない千葉ニュータウンの特徴です。

 

印旛沼周辺の風景と地平線高台を降りると向こうに見えるのは北印旛沼と西印旛沼を結ぶ水路の恩恵を受けて地平線のように広がる水田地帯。そして大きな印旛沼へと続きます。水路と言っても幅はとっても広く、この水と自然の恵みを受けた生活が営まれています。
普通の田舎風景と思いきや、ニュータウンと隣接した地域はそれぞれの深い歴史を持ち、それぞれの特性に合った産業、異なる風土が時を刻んできました。
その歴史を岩戸にある印旛歴史民族資料館で見ることができます。

吉高の大桜

吉高の大桜日医大地区では樹齢300年以上と言われる1本桜があります。桜の種類はヤマザクラ。みなさんが想像するお花見の桜よりも1~2週間ほど遅く咲くのが特徴です。また、満開の状態は2~3日と短く、いんざいパルケでも満開ではない桜の写真しか持っていません。すみません。ぜひ一度吉高の大桜を見にいらしてくださいね。