印西牧の原地区の歩みと歴史|千葉県印西市
もくじ
印西牧の原地区の歩み
印西牧の原地区の歴史を語ると、この1ページでは何万文字もの紹介になります。
千葉ニュータウンといえど、歴史は数多くあります。
ここではかんたんな歩みをご紹介します。
そうふけっぱらのきつね
こんな昔の話をしても仕方ないのですが、いつまでも語り継がれるのでご紹介しますね。
面白いか面白くないかは心に秘めておいてくだされば幸いです。

昔の印西のお話。
「そうふけっぱらのきつね」は南部の「吉田」のお店と北部の宿場町「木下」を通った、おっちゃんの物語です。
吉田も木下も今では想像がつかないほどお店が多かったエリアです。
途中の原っぱが今の牧の原地区、
「きつねに化かされた~」と言ってたあたりかなと想像できます。
ジョイフル本田の大部分、牧の原4丁目の一部、牧の原3丁目全域から北側は平成まで地名が「別所」でした。

そして私が見たところ、2024年はまだホンドギツネの生息と映像が確認できていました。
亀成川の付近を通ることがあったら、「キツネさんいるかなあ」なんて子どもと夢のある話をしながら通ってみては?
そうふけ飛行場

牧の原南側地区の大部分は「草深」です。
牧の原の南側大部分を占めていた「草深」ですが、草深はひとことで草深と言っても鹿黒南や高花の近くから松崎工業団地付近、印旛岩戸付近まで範囲があります。
細かく言うと、草深十町歩とか草深天王とかいろいろあるのですが。
ここでは原っぱというのがキーワード。
よく「印西牧の原だから印西牧があった」と言われるのですが、本来の印西牧は「白井市~千葉ニュータウン中央周辺」までとなります。
東の原公園の周辺がかつて飛行場滑走路があったことはご存じでしょうか。
掩体壕が残り、公園内には掩体壕を再現した丘と飛行機をかたどった砂場があります。
なかなか深い話になるので「飛行場にまつわる土地」として締めくくります。
街びらき

その昔、印西町主導のコスモスまつりが、千葉ニュータウン中央駅前から印西牧の原駅前のラーバンパークという広場に移り、ラーバンフェスタというコスモスまつりが開かれていました。
現在のBIGHOPガーデンモール印西のあたりです。
「ようこそ印西町へ」という感じで、千葉ニュータウンに移住してきた人を歓迎するイベントも盛んな頃。
その後、市民団体によるコスモス里山まつりに引き継がれ、長年コスモス里山まつりが開催されていました。
はじめは南口で、そして北口の牧の原公園へ移っての開催。

養鶏場、Beポンキッキ農園

2000年頃はまだ印西牧の原南側の多くは、養鶏場や畑、農園でした。
平成の時代になっても、私有地を市民のために使える森や農園として開放してくれたり、地元の人を招いてバーベキューをしたり、野菜を配ってくれたり、
そんな古き良き時代もあったのです。
東の原公園にも養鶏場(鶏舎)がありました。

昔、フジテレビ系列でポンキッキという子ども向け番組があって、成田スカイアクセス線開通前後にポンキッキコラボをしていた時代がありました。
そのときによく、「ガチャピン」と「ムック」という緑と赤の怪獣と雪男?が印西に来ていました。
その農園も牧の原南側の草深地区です。
大型商業施設出店

印西牧の原の歴史の転換期となるジョイフル本田の進出が始まります。
ジョイフル本田はなぜ印西に?
ところであんなに大きなジョイフル本田がなぜ印西に進出したのでしょうか・・
印西進出の決定打ではないとは思います。
ということを前提に聞き流してください。
実は私の知人(大森地区の飲食店の人)が、当時のジョイフル本田の会長ととても親しかったのです。
その方はあるとき会長に「印西にも作ってくれないかしら。」という会話をしたそうです。
その後、当時の会長から「印西に作ることになったよ。」と報告があったそうです。
このお話は実話です。
この話、公にするのは今回が初めてです。
もういんざいパルケではないので、残せる話は書いてしまいます。
あと、マツモトキヨシ(松本清)さんの奥様も大森の方です。これは有名かな。
当時から街の規模のわりに昔からマツモトキヨシ多いですよね。
BIGHOPガーデンモール印西

ジョイフル本田の進出後、名乗りを上げた民間企業がBIGHOPガーデンモール印西。
当初は都内で有名なお店やブランド店のアウトレット型ショッピングモールということでオープン。
店揃えは流行りブランドのショッピングモールでした。
観覧車は当時あった露天スパの中が見えてしまわないようにとあの高さ(51m)にしたという話があります。こちらは多くの人に聞いた話(噂)なので真偽は不明。
開発当初は、東の原(現在原小学校分離新設予定地)も購入し、リゾートとして拡大する方向で発表されていました。
その昔、牧の原地区にはワーナーブラザーズのテーマパークも計画されていたことがあり、
その後ウォルマートの進出がうわさされたりと、いろいろと話題が絶えなかった地域です。

急成長中の牧の原地区

上の写真は2008年牧の原北側の風景、中央森林部分は牧の原小学校付近。
下の写真は東の原地区の造成がはじまった2008年末~2009年。

この数年後に一気に家が建ち始めます。
バルーンだか気球をあげて街をアピールしていた時期もありました。
「気球に乗って印西を見てみよう」だったかの企画かな。
これまでの話はあくまで過去の話。
ポジティブな部分しか書いていませんが、光の強さと同じくらい影も強い歩みがあります。
それはどこの地域も一緒ですね。
牧の原地区と一言で言っても、かなり広範囲の距離感です。
多くの媒体や広報などで牧の原地区として扱わる範囲は、東西は3.5Km以上南北2Km以上にもなります。
ほかの街と比べたら、2駅含む距離。
実際、我孫子市布佐駅~印西市木下駅は直線で1.7Kmしかありません。
もちろん住んでいる方から見たら、「滝野」と「東の原・牧の原」では隣り合っていても入居時期や歩みが全然違う、というのもわかります。
入居時期が近くても、「西の原」と「滝野」も全然歩みが異なります。
ちなみに西の原と滝野は、歴史的にもニュータウンの歩みとしても、印西市としても別々に記事1ページ書けるほど。
「牧の原」「牧の台」「滝野」「西の原」「原」「東の原」などはすべて別々の地区として扱っても良いのでしょうけれど、今回は同じ駅圏としてお伝えしています。
これからの牧の原地区は住んでいるみなさんが作っていくものです。
「牧の原の歩み」の次の記事の項目が、どんな見出しになるか、各地区ごとで1ページ語れるほどの歩みや、街の持ち味や特色がでてくるかもしれませんね。
期待しています。

