印西のぶらり川めぐりに乗ると、船頭さんからいろんな話が聞けます。
その中で印象に残っているのは、木下・六軒界隈が栄えていた頃の話です。
ところで現代、東京を中心に動いている日本の社会ではなんとも理解しがたい疑問がわきます。
なんで木下が栄えていたの?
木を下しただけで栄えるの?
その疑問はここで解決します。
もう学校の木下の歴史の授業ですね。
「木下」は「きおろし」と読みます。
「木下河岸」は「きおろしがし」と読みます。
もくじ
千葉県のビッグタウン
かつて千葉県の町として大きなところや有名スポットは、行徳宿、松戸宿、船橋宿、そして成田山なんかがよく挙げられます。
あ、そうそう、当時は千葉県ではなく下総 (しもうさ) の国。
千葉県の北部全体のお話です。
千葉県の北部では今ではあまり大きな町という印象を持たれないけれど、かつてその土地の中心的存在だった大きな町があります。
有名なのは佐原や佐倉。
他にも栄えた町は安食や小見川、多古といった古くから残る地名の元にもなる町があります。
その中で木下とはいったいどんなポジションだったのか想像つきますか?
話はそれますが、今回は木下にスポットを当てていますが、木下の陰に隠れて大森宿というものも存在していました。
大森宿は山城国淀藩に移封となった稲葉氏の飛び地で、鮮魚輸送の継ぎ場という機能を持っていた町だが、宿場としては小さなものだそうです。
よくわからないので丸ごとコピーさせてもらいました。
参考:五街道の旅さん
木下が船橋と並ぶ宿場町時代
かつて木下は船橋と並ぶビッグタウンでした。
下の画像をご覧ください。
@chizutodesignさんが江戸時代のGoogleマップを作成してくれています。
江戸時代にもしGoogleマップがあったら
【3月26日1:25更新】ご指摘を頂いた、水戸街道・横浜付近の海岸線を修正、中川・川越の伊佐沼・中川船番所・一宮の氷川神社・寒川神社・調神社・粕壁を追加しました。 pic.twitter.com/tn76CKOBzP
— 地図とかデザインとか (@chizutodesign) March 25, 2019
とにかくこの存在感が気になりますね。
三社めぐり
時は江戸時代。
当時、江戸の人たちには東国三社を巡拝するというものが流行りました。
東国三社とは
三社とは
鹿島神宮 (茨城県鹿嶋市)
香取神宮 (千葉県香取市)
息栖神社 (茨城県神栖市)
読み方は、「かしま」「かとり」「いきす」です。
実は、この三社は古代史や神話からもわかる歴史と神秘の力が語り継がれるポジションです。
明治以前には「伊勢」「香取」「鹿島」のみが神宮を名乗ることができたという名社です。
三社を参拝すると伊勢神宮に一度参拝したのと同じご利益が授かると信仰されていたのです。
三社巡り+成田山参詣は娯楽としても人気
こんなざっくり書いていいのかわかりませんが、当時は街道沿いに娯楽として楽しむ商店などが並んでいたため、江戸の人たちはその道中も楽しんだ人が多かったようです。
成田山新勝寺も1300年の歴史を持つ全国的な観光スポットです。
かつて江戸の商人が成田山参詣していたもので、東京の大手企業では年始に成田山に参拝に向かう風習が残っているところもあります。
江戸から成田山に行くにはこんな感じで検索結果が出ています。
参考:江戸時代版Googleマップ。
江戸から三社までの行き方
当時は車も電車もありません。
歩くか馬や船に乗るしか移動手段はありませんでした。
当時の移動手段で「効率が良く早いもの」を順で書くと、
船>馬>>>徒歩ではないでしょうか。
さて、あなたが江戸 (日本橋や神田、蔵前、浅草あたり) の民だったらどうやって三社に向かいますか?
1. 江戸から水戸街道を通って行く。
2. いやまっすぐ成田街道を行く。
3. 江戸の海から船で房総半島をぐるっと回っていく。
4. 江戸から川を船で上り関宿 (野田) から利根川を下っていく。
5. 途中まで行ってあとは川を船で下る。
教えてGoogle!
江戸から三社までの現在の徒歩最短ルート
まずは現在のルート検索で。
まず徒歩のみだと、
日本橋から香取神宮は16時間45分前後で着くそうです。意外と早い!
お?
印西市民にはこの曲線はとてもなじみ深いのでは?
思えば成田空港や成田山方面へ向かう高速道路も鉄道も千葉市へ迂回しなければもっと都心から近く感じたでしょうし、
北総地域、印西はもっと発展していたでしょうね。
これを見て何か気づくことがありませんか?
江戸から三社までの最短ルート
江戸時代は木下街道を進み、木下から船で利根川を行き来した。
当時の江戸は水路が網羅されていました。
水路を通って行徳河岸 (千葉県市川市) に着き、目指すのは木下河岸です。この道が木下街道と呼ばれます。木下からなんと利根川を船で下ります。
最新の衛生地図で見てもこのルートがほぼ最短ルート。
江戸の人たちすごい。
陸路で途中まで歩いて、途中から舟なんて粋すぎ。楽しそう。
現在でも市川や船橋の市街地の人たちは「千葉ニュータウン」は知らなくても「木下」は知っている人が多いのは、この木下街道のポジションが大きいからです。
渋滞や中山競馬場で有名・・。
遊覧船「木下茶船」
木下河岸を起点に利根川の舟運を利用し、参詣する人々を乗せて利根川を行き来したのが東国三社参りの遊覧船、その名も「木下茶船 (きおろしちゃぶね)」です。
江戸時代初期に運航が始まり、8人乗りで、5人集まれば出航。
ちなみに木下河岸の物語でよく出てくる大きい船の蒸気船「銚港丸 (ちょうこうまる)」とは異なります。
銚港丸は明治期に活躍した船です。
木下茶船…江戸時代
銚港丸…明治時代
行き方をまとめると
江戸 (船)
↓
行徳河岸
↓
木下街道
↓
木下河岸
↓
利根川 (木下茶船)
↓
津宮河岸
↓
香取神宮
↓
船
↓
松岸河岸
↓
飯沼観音
↓
銚子
↓
息栖神社
↓
徒歩
↓
鹿島神宮
↓
船
↓
潮来
↓
利根川 (木下茶船)
↓
木下河岸
↓
木下街道
↓
行徳河岸
↓
江戸
といった感じです。
三社のポジションとレイライン
三社はパワースポット
三社は今風に言えば超パワースポットです。
それぞれはほぼ直角二等辺三角形を形成しています。
鹿島神宮 ⇔ 香取神宮間は12km。
鹿島神宮 ⇔ 息栖神社間は9km。
息栖神社 ⇔ 香取神宮間は8.6km。
その三角形のエリア内は強力なパワーが存在し、人生の岐路に迷った人にご利益を授けてくれるとも言われています。
レイライン
夏至の日の太陽の通り道は、鹿島神宮東の一の鳥居 ⇒ 富士山 ⇒ 伊勢神宮 ⇒ 高千穂が一直線に結ばれます。
これは別の話ではレイラインとも呼ばれる一種で、この直線の途中に「スカイツリー」「皇居」「明治神宮」「吉野山」なども存在します。
「小田急線」はレイラインを意識して線路が敷かれたようです。
印西市内は
小林牧場 (大井競馬)や
習志野CC
牧の台(現在日本一のデータセンタータウン建設中)
鹿黒地区あたり(世界一のIT企業付近)~小倉台。
または大塚(ビジネスモール) 中央北あたり。
富士山の真ん中にスカイツリーが見えるよ、というポイントを知っている人はいませんか?
縁起が良いんですね。
木を下しただけではない木下
「木下は昔木を下したから木下」で正解なのですが、実は江戸の人たちにとって重要なポジションにあったのです。
こうして見ると、人も船も行き来した交通の要衝だったのですね。
木下街道膝栗毛
木下街道膝栗毛とは
印西市で毎年行われていたウォーキングイベント「木下街道膝栗毛 (きおろしかいどうひざくりげ)」は、かつて参加者数が1,000名を越えていたとのこと、近年でも200~300名というけっこうな規模のイベントでした。
毎年10月頃に行われ、江戸の衣装で仮装して歩くということで、なぜか江戸版ハロウィンのような状態、最近なら違ったウォーキングイベントになっているかもしれませんね。
というわけで、
これを読んでいただいてありがとうございました。
印西になじみのない方も、少しだけ印西の歴史のひとつ「木下」に愛着が湧いてもらえたらうれしいです。
また、木下の歴史のプロフェッショナルから見たら
「いやいやあそこはちょっと違うよ。」とか
「ここはもっともう書くべき。」といったところもあるかと思います。
明らかに間違っているところは、そっと教えていただければ幸いです。
それらを含め、印西に住むあなたがほんの少しだけ印西のことを知るきっかけになってくれることが、いんざいパルケのポジションです。
ありがとうございました。