印西の歴史

印西にあった幻のテーマパーク計画「ワーナーブラザーズムービーワールド」

この記事は、かつてインターネットがあまり普及されていない時代の地域の世間話をご紹介する程度でとらえていただければ助かります。
いんざいパルケでは、かつてあった夢物語をどう取り扱おうか悩んでいたのですが、インターネットにソースが無いし、記憶を語ってもなんだかよろしくないとお蔵入りしていたのです。
しかし、今こうしてひと段落した街の風景を見ると、開発時代によって住区が区切られてしまい、地の歴史をあまり知る機会が少ないニュータウンだからこそ、ちょっと前の千葉ニュータウンのよもやま話を読み物として書きつづったものがあっても良いのではないかと思いました。 

印西市 (本埜村) にテーマパーク計画?

タイトルを見て、「わぁ懐かしい!」と思った方よりも「え!?そんな構想があったの!?」と驚かれる方の方が多いのではないでしょうか。

そうです。かつて印西市 (当時は本埜村区域) にはテーマパークの建設構想が浮上していました。
その話は噂レベルでしかなく、私もこれを書いていて少々不安。
というのもこの地域、「ワーナー」「テーマパーク」「ウォルマート」などいろいろな噂を聞く時期がありました。その中でも一瞬世間話レベルで聞かれたのがテーマパーク構想。
計画と構想でタイトル悩みましたが、下記資料では計画となっていますね。個人的には計画段階にも至っていないと感じています。

テーマパーク構想はいつ頃の話?

当時は2000年頃の話。
当時は印西町と本埜村です。
インターネットの利用もほとんど普及されておらず、当時の話題は書籍や機関誌レベルでしか知ることができません。印西牧の原駅ができたのが1995年。まだ街びらきして間もない頃で、北総線の終着駅でした。

千葉ニュータウン。実は当時の夢物語はけっこうありまして。いくつか話題のストックがあるのですが、いずれも白紙状態になっています。
有名なのは成田新幹線計画ですよね。こちらはかなり具体的でした。そのつぎに都営新宿線の延伸など。でもそういった他地域も国も関わるようなビッグプロジェクトはいつまでも語られますし、資料としてインターネットにも存在します。でもまだ他にも幻構想があるんですよ。

さて当時の印西市。まだジャスコ (今のイオン) が開店予定という時代。もちろんジョイフル本田の出店話すら存在しません。

千葉日報より
千葉ニュータウンにテーマパーク構想

ウサギのバックスバニーやバットマンといった映画のキャラクターたちのテーマパーク
「ワーナー・ブラザーズ・ムービー・ワールド」(本社はオーストラリア、ジョン・メンティーズ社長) が、千葉県本埜村の千葉ニュータウン内に進出を計画していることがわかった。本埜村によると、同社では東京に近く、成田空港からも至近距離という立地条件を高く評価しており、日本側の企画・運営会社が見つかれば実現させたい意向という。千葉ニュータウンの活性化方策としても期待されており、実現すれば首都圏で東京ディズニーランドに次ぐ世界的なテーマパークとなる。ただし、国内で進出の受け皿となる事業会社はまだ決まっていない。また、進出した場合の採算ラインは一日平均一万人の入場者数と推計されているが、事業成功のかぎは初期投資額、特に用地費を最小限に抑えることとされる。
そこで、土地を購入せず「賃貸あるいは定期借地権付き販売」などの形で事業費を圧縮できるよう、本埜村では土地を所有する県企業庁や整備主体の都市基盤整備公団に協力を求めている。

ワーナーブラザーズムービーワールドとは

ワーナーブラザースはアメリカの会社ですが、オーストラリアのゴールドコーストにあるワーナーブラザーズムービーワールドが有名です。人気のテーマパークです。
2018年世界最大の屋内型テーマパークとしてワーナーブラザーズワールドがアブダビにも登場しました。

映画制作会社のワーナーブラザース (Warner Bros.) が運営、ディズニーやユニバーサルスタジオのようなキャラクターや映画の世界観が再現された体験型のテーマパークです。
ワーナーブラザースの作品に登場するキャラクターたちや作品の世界をモチーフにしたもので、バックスバニーやダフィーダック、トゥイーティーなど有名キャラクターが登場、ショーやパレード、本格的なアトラクションが楽しめるテーマパークです。
楽しそうですね!カリフォルニアのナッツベリーファームのような印象。

参考:ゴールドコーストにある人気テーマパーク「ムービーワールド」の魅力、行き方や予約方法を徹底解説! (外部LINK)

印西市(本埜村)のどこに計画されていた?

印西牧の原地区

写真と計画地は関係ありません。

✔ 当時は本埜村という限定的な話でした。(だから印西にはほとんど話が伝わってこなかったのかな?)
✔ 計画地は千葉ニュータウンと書いてある。

では1998年当時の地図を持っていますので、千葉ニュータウンの本埜村がどのあたりかを探ってみたいと思います。ちなみにこの時期は千葉ニュータウン停滞時期。1~2年の誤差はお許しを。
ここから先は私の推測です。みなさんも想像してみてください。

1998年の印西牧の原地区参考:昭文社エリアマップ

テーマパーク以前にいろいろ気になるところがあってわくわくしますね。
この地図で本埜村というと北総線計画線の北側 (竜腹寺から北側)と滝野ということになります。それからマブチモーターの東側の現在みどり台となっている地区ですね。
造谷は印旛村です。

いんざいパルケの予想では現在の東の原か牧の原だったのですが、そう考えると、あれ?いんざいパルケが想像していたところとちょっと違うかな。
そういった方面のつながりもない一市民にはこれが限界です。ごめんなさい、どこに計画していたのかがわかりませんでした。

計画来場者数が平均1万人。東京ディズニーシーの3万~5万人と比べると、敷地面積はジョイフル本田の約2倍はほしいところです。東京ディズニーシーは東京ドーム約10個分、ジョイフル本田は約3.6個分と言われています。

なぜ白紙になったのか

ワーナーブラザース側から打診があったみられる構想ですが、これが白紙になったかどうかの話も知ることもなく、フェードアウトしていました。
ここまで調べられる力なく申し訳ないです。

今後印西市でテーマパーク開発は?

こういった話を掘り返すと、「当時は自治体の力も弱かったし、今ならもしかしたら?」とか、「成田空港につながったし、希望があるのでは?」などというドキドキ感を感じる人や「いやいや作らなくてよかった、そんなのいらない、なんで話を掘り起こすんだ。」という人もいるのではないでしょうか? (こういったブログやメディアの発信はそれが一番怖いです。)

ただ、以前のニュータウン計画はもとから住んでいた人も驚くような計画がたてられて、開発されていったと考えると、2000年当時にそのような構想が湧き上がることはまったく夢物語ではなかったかもしれませんね。

もしテーマパークが作られていたら今頃どうなっていたでしょうか?

良くも悪くも、そんなことを想うと、少しだけ地元に愛着が湧くのではないでしょうか?
今後の印西市を作り上げるのはURでも県でもなく私たち市民です。