印西の歴史

松虫寺と松虫姫神社と伝説|房総の魅力500選

こんにちは。
はじめに。。印西市の魅力ある場所には、たくさん人が訪れてほしい場所だけではなく、静かな環境の中にたたずむその景色や建物こそが魅力である場合も多いです。
多くの人が訪れることでその魅力が損なわれてしまうこともあります。
しかし、誰も訪れなくなり人知れずただすたれてしまうものもあります。
そのバランスが難しいですよね。

千葉ニュータウン印旛日医大地区に隣接する松虫寺 (まつむしでら)。

松虫というと「ちんちろちんちろちんちろりん♪」というまつむしを想像します。
そしてもうひとつ、印旛では「松虫姫 (まつむしひめ)」という言葉をよく目にするのですが、いったい何でしょうか。
「松虫 (頭の中は虫を想像)……姫?(頭の中は虫の松虫の物語?てんとうむしのサンバ的な?)」

松虫姫というと松虫姫神社というものもあります。
松虫寺と松虫姫神社は隣接し、一体となってこの地の歴史を守っています。
今回はこの物語。長いですのでのんびり読んでいただければと思います。

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※写真は2013年~2019年を使用していますので、若干の違いが生じる場合があります。
※興味を持ってもらうことを目的としていますので、内容はとてもくだいて書いています。

房総の魅力500選に選ばれた場所

松虫寺

房総の魅力500選は、千葉県の人口が500万人を突破した1983年 (昭和58年) に、魅力あるふるさと再発見の一環としての記念イベントです。
千葉県民の投票と識者の検討によって選定された県内の魅力あるスポットです。
松虫寺は昭和63年に選定。
印西市には他に、木下貝層、印旛沼流域、結縁寺、栄福寺、宝珠寺、小林牧場印旛沼公園 (師戸城址) などが選定されています。

房総の魅力500選公式サイト

心が凛と落ち着くような静けさと、緑に囲まれた歴史ある建物が心をすっと包みます。

松虫寺の鐘

区画整理されたニュータウンのすぐそばにもかかわらず、松虫寺の向こうには人と自然が共存する里山の風景が広がります。

杉自塚 (すぎじづか)

杉自って何?スギじぃ?スダジイ?
杉自とはこの地に住む村人たちに奈良の文化や技術を伝え、村人の暮らしを助けた松虫姫の乳母のことと言い伝えられています。
この杉自は人々に敬愛されながらこの地に没します。
その後、村人たちが感謝の気持ちで建てた塚が杉自の塚です。塚を守るようにアカガシとスダジイの木が仲睦まじく立っていて、縁結びの塚ともいわれているとか。
なんだか素敵な話。
このお話はあとで。

アカガエルの里

ニホンアカガエルは千葉県の最重要保護生物に指定されています。
近くにはそんなアカガエルが棲む里があります。すぐそばにはすでにニュータウンの区画整理地域が隣接しています。

里山と谷津

印西市内の里山は視界に人工物が見えないほど深い森林や田んぼが広がります。
市内にはこのような里山や谷津の風景が、住宅地を守るように広がっているので、歩いて散歩することができます。
田舎には行くところがないなんて言わず、その里山を歩いてみてください。
四季折々に姿を変える自然はお金では買うことができないものをたくさん与えてくれます。

松虫寺とは

✔ 743年奈良時代に聖武天皇が僧「行基」に命じ建てられたといわれます。
✔ 真言宗のお寺です。
✔ 公式では「蟲」とも書かれています。

奈良時代の743年 (天平15年) に建てられたといわれています。
寺に伝わる七仏薬師如来像は、本尊薬師如来像と6体の脇侍からなる平安時代最期の作です。

さて漢字ばかりの難しい歴史の話ですよ。

これをどうやって簡単に面白く伝えられるでしょうか。
もし歴史は苦手!!という方はこの項目は写真だけ見て読み飛ばしてしまってください。

では、松虫寺の雰囲気を一発で感じることができるこのたたずまいをご覧ください。

松虫寺

松虫姫伝説

松虫寺には松虫姫 (不破内親王) にまつわる伝説があります。

印旛日医大地区にちょこちょこ見られる「松虫」という言葉。
決して自然が豊かでマツムシがいっぱいいたからそう名付けられたわけではありません。

この松虫というのはとあるお偉い人物のことです。

昔むかし、時は1,300年も前 (奈良時代) のこと。
あるところに東大寺を建てたことで有名な聖武天皇の第三皇女に松虫姫 (=不破内親王) というそれは美しい姫君がおったそうじゃ。

姫の病気と夢のお告げ

若くして松虫姫は重い病に伏してしまいました。
どうにも手を尽くせない時が流れたある日、坂東 (ばんどう) の下総 (利根川方面の下総の国=北総地域) に病を治す薬師如来があるという夢を見ました。

夢:「私は下総の国、萩原村の出戸の薬師如来の使者です。お姫さまが萩原の里まで下られて、ここでこもって祈願なされば、その病は必ず治ることでしょう。」

聖武天皇はわらにもすがる思いで松虫姫を下総に向かわせたのです。

矢印

遠い遠い下総の国

当時の都は奈良。下総は遠い遠い辺境の地です。

長い旅路でいくつもの危険もあり、いつしか「松虫姫」と「杉自」という乳母、僧の「行基」、数人の従者と「牛」だけになってしまったのです。
佐倉側から沼を渡りたどり着いたのがここ、印旛沼のほとりの萩原郷。
みすぼらしい薬師堂。
「まじかぁ…。」
こんな辺境の地に望みも抱けず、落ち込む姫。

矢印

祈りと村人との出逢い

そんな時、祈ることで心が落ち着き、そして親切な村人たちに奈良 (今でいう東京) の文化や養蚕、裁縫や生活に関わる知恵、文字などを教えることに生きがいを感じます。
毎日の祈りと、人々とのつながりを大切にした姫たち。
いつしか時が経ちました。

矢印

病気が治る

祈りと人々との共生を繰り返すうち、いつのまにか病気が全快しました。

そればかりでなく、村人たちは姫たちにたくさんの教えや助けをもらったことに感謝。
村人も姫には帰ってほしくない、姫も都には帰らずにいたいと思うようになりました。

そこで、親切にしてくれたこの村への縁と恩をつなぐため杉自を残しました。これからも村のために手助けをするようにと・・・。
そして姫が乗ってきた牛も同じく年老いたため一緒に残すことになりました。

松虫姫は都に帰るとき、境内にいちょうの枝の杖をたてたといいます。

矢印

牛むぐりの池

ここで問題は牛の方。
牛はずっと一緒にいた姫との別れに哀しみ暮れました。
そして自ら池へ投身。牛は亡くなってしまいます。
村人たちはその牛を哀れ、「牛むぐりの池」として伝えられることになります。

松虫姫を乗せてきた牛

松虫姫公園にあるあの牛のモニュメントの意味はここにあったんですね。
今はもう整備されてしまった公園の池ですが、この池はただの調整池ではなく、このような物語が語れ継がれる場所だったのです。

矢印

松虫寺の誕生

松虫寺

都に戻った松虫姫から話しを聞いた聖武天皇。
「病気を治してくれたこの尊い薬師佛を辺境の地の道端に置いておくのはおそれおおいぞよ。」
ということで、僧「行基」に命じて「七仏薬師群像」を作らせ、寺を建てるようにお願いしました。
これが松虫寺です。

矢印

姫の亡き後

その後、皇位継承などの争乱を経て亡くなった松虫姫。
姫の遺骨は遺言によって松虫寺に分骨されました。
村人たちは境内の薬師堂の裏手に、石の柵に囲まれた一角に墳 (つか) を建てて葬りました。その場所は「松虫姫御廟 (まつむしひめごびょう) 」と呼ばれています。
おおっぴろげにお墓類の写真は載せないようにしているのですが、これだけ掲載させてください。

松虫姫のお墓

御廟とは、先祖の霊や貴人の霊をまつる殿堂。
西暦771年のことでした。

一方、松虫姫の御廟を守ってこの地に身を没した杉自の塚は、寺の山門から約200mほど離れた場所にあります。
村人たちに慕われた杉自の塚もまた、いくつもの庚申塔と2本の木に囲まれて守られています。

最後まで読んでいただいた方、おつかれさまでした。

撮りためた写真を選定し、この記事を書くのに合計7時間以上。
書いていて目が熱く凝り固まってしまいました。後頭部痛い。

ここでちょっと休憩。

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七仏薬師 瑠璃光如来

松虫寺

木造薬師如来坐像・木造薬師如来立像

国の重要文化財となっています。

「う~ん、漢字ばかりでなんだか難しくてわからない。もう限界。」

日本史の用語って分解するとわかりやすいです。
|木造|薬師如来|坐像|
|木造|薬師如来|立像|という感じに。

立ってる像と座ってる像ってことですね。しかも木でできてる。

坐像を中心に立像が三つずつ左右に並んでいます。
平安時代末期に造像されたと考えられます。

普通は、七仏が光背に取り付けられたり、描かれたりする場合が多く、松虫寺のこの像のように坐像と立像の組み合わせの例は他に知られていません。
また、古い様式の七仏薬師は全国的にみても珍しく、この松虫寺と滋賀県の鶏足寺だけのようです。

宝珠院観音堂
印西の国指定文化財・記念物ギャラリー千葉県印西市の国指定歴史文化財や国指定天然記念物、そして国の登録有形文化財の内容や場所を紹介しています。...

大きさ

中尊坐像が54.3cm。
立像はどれも38cm。

素材

カヤ材の一木造

開帳日

この仏像は、33年に一度御開帳を迎える秘仏とされています。
前回の御開帳が「2012年11月18日」
次回は「2045年」になります。
一生で2回見られるか見られないかですね。

そのときどうしているか想像もつきませんが、もしこのページをご覧になっていたら一応印西市のサイトなどもチェックしてみてください。いんざいパルケが残っている可能性はゼロに近いですが・・・。

行基(ぎょうき)って誰?

で、ところで行基って誰?という方。
「行基は東大寺の大仏をつくった人です。」とだけ紹介すればすごさがわかるでしょう。
そんな行基は結縁寺も建立しています。

松虫寺・松虫姫神社

所在地:千葉県印西市松虫7
行き方:
■徒歩の場合:北総線印旛日本医大駅から徒歩約15分~20分
■バスの場合:ちばレインボーバス「印旛日本医大駅」
ふれあいバス:印旛支所ルート「萩原公園」または「萩原三丁目東」から徒歩約7分~10分
ふれあいバスはこちら
■車の場合:目の前に数台分の駐車場があります。
電話番号:0476-98-0096
公式サイト:https://matsumushi.com

松虫姫神社

門を超えた正面の薬師堂の左後ろにある神社です。

松虫姫神社
松虫姫神社

六所神社

お隣にはそれこそ凛とした林に囲まれた六所神社もあります。

松虫姫神社

松虫寺と一体となっていますので、ぜひ立ち寄ってみてくださいね。

こちらはより一層の静けさ。

印旛の六所神社

松虫寺の見どころ

松虫寺の周辺は草木や花を楽しめます。



あじさい
イチョウ

 

松虫寺の行き方と境内

では松虫寺に行ってみましょう。
ここは駅からも歩いて行けますし、駐車場がありますので車でも行けます。

駅から歩く場合

✔ 北総線・京成線印旛日本医大駅下車

印旛日本医大駅駅舎外観

駅の改札からざっくり20分くらいです。直前まで広い歩道が続きますし、寺への入り口に入る路地さえ気を付ければ大丈夫。

ただし、日本医科大千葉北総病院から歩いて行こうともなると、30分~40分近くかかります。

車で行く場合

✔ 国道464号線印旛日本医大駅付近IC交差点から約3分~5分。
✔ 寺の前に駐車場があります。

松虫寺駐車場

駐車場の雰囲気はこんな感じ。
わくわくする路地が続いていますね。
時間があったらぜひ歩いて進んで行ってみてください。

行き方はとても簡単。
大きな交差点を住宅がない方に入っていくだけ。

さぁ、お寺の中に入ってみましょう!

山門・仁王門

神社と寺に入る門です。
2体の仁王像は運慶の作だそうです。運慶、聞いたことがありますよね。

松虫寺の門

門の向こうには緑に包まれた道。その奥に朱い薬師堂が見えます。

薬師堂

松虫寺

鐘楼(しょうろう)

松虫寺の鐘

薬師堂に向かって右手には鐘楼。年末には除夜の鐘も鳴ります。

松虫寺

松虫寺は新品に建て直された建築物やリニューアルされたものとは異なり、その歴史をそのまま感じられる古めかしさを残しているところです。

松虫寺

それは建物もそうですが、周辺の樹木も自然体。整備されたところとはまた違う趣です。

松虫寺のイチョウ
松虫寺の周辺の路地

周辺にはこのような路地が続いています。
その昔杉自もこの道を歩いたのでしょうか?

仮称 印旛松虫駅

おまけです。
北総線の終点「印旛日本医大駅」は、かつて仮称で「印旛松虫駅」と付けられていました。
そこでこの松虫姫の伝説を残すために印旛日本医大駅(松虫姫)という、多くの人が見ても謎の副駅名が残ったものと考えられます。

このように伝説を知ってみるとその名前も意味のあるものだと感じます。

しかし仮に印旛松虫駅のままだったら、たぶんマツムシがたくさん住んでいるような田舎駅のイメージで終わってしまったかもしれませんね。

せめて印西市民にはぜひ知っておいてもらいたい歴史のひとつとして、ご紹介させていただきました。

いつか機会があったら、この地にあった伝説を思いながら歴史の中の1ページに飛び込んでみてはいかがでしょうか。