もくじ
日本国指定文化財・指定天然記念物
宝珠院観音堂 (ほうしゅいんかんのんどう)
印西市小倉1138
指定年:1934年1月3日 (追加)1955年2月2日
宝珠院は859年~877年に開基されたといわれている建造物です。正面側面三間の堂で、屋根は茅葺寄棟造です。別名「光堂」ともいわれる宝珠院は、須弥壇、厨子、天井や壁上部の組物の一部に美しい色彩装飾が施されているのが特徴。
宝珠院観音堂は電車やバスで行ける場所でもなく、途中からは車も入れないような細い路地を抜けた先にあります。そんな手間も、国指定であるがゆえの貴重な歴史文化財ですね。
印西市民なら一度は行ってみてください。その静寂と神秘に癒されると思いますよ。
行き方
松山下公園から徒歩約20分。千葉ニュータウン中央駅北口から徒歩約40分。
銅造不動明王立像 (どうぞうふどうみょうおうりゅうぞう)
印西市結縁寺516 結縁寺内
指定年:1914年4月17日
行基によって創建されたといわれる結縁寺 (けちえんじ)に保存されています。鋳銅製の不動明王像で高さは47cm。一度火災にあったのか、少し荒れてしまっていますが非常に貴重な像です。千葉ニュータウン高花地区に隣接した歴史文化財のひとつです。毎年9月28日に開帳されていますので、お時間のある方はぜひ結縁寺へ。
行き方
北総花の丘公園から徒歩約20分。千葉ニュータウン中央駅から徒歩約40分。
木下貝層 (きおろしかいそう)
印西市木下1944ほか
指定年:2002年3月19日
他 :千葉県の化石にも指定される
千葉県北部の台地は約8万年~45万年前に堆積した下総層群がもととなっています。その中のひとつ、古東京湾と呼ばれている内陸に広がっていた海に堆積したものが木下層です。木下周辺にいくつもある貝層は、何万年もの昔の歴史を物語る自然の記念物で、代表的なものに木下万葉公園の貝層があります。
木下貝層は、大昔約12~13万年前の地層です。その昔関東平野は広い海だったことを示す目で見ることができる貴重なもので、海面が下がったり陸地が上昇したりして現在のような台地になったわけですね。おおよそ100種類以上の貝類の化石(バカガイ、キタノフキアゲアサリ、クサビザラ、マメウラシマガイなど)が確認されていて、かつては石器や石材などに使われたようです。そうそう、指定地で貝化石を採取するのは禁止ですよ。
木下貝層の分布:
木下万葉公園、印西市役所裏、松山下公園など
行き方
木下駅南口徒歩約10分。
栄福寺薬師堂 (えいふくじやくしどう)
印西市角田2
指定年:1954年9月17日
行基による開基と伝えられる正面側面三間の堂で、屋根は茅葺寄棟造の建造物です。朱色の外観が印象的で、外陣は鏡天井に極彩色で天女図が描かれています。内陣は来迎柱を、その前に極彩色で飾った須弥壇を設けたほかの印西市の指定建造物とは少し趣きが違いますね。
行き方
印旛日本医大駅から徒歩約20分。
泉福寺薬師堂 (せんぷくじやくしどう)
印西市岩戸1671
指定年:1977年6月27日
素人目には宝珠院ととても似ている泉福寺薬師堂。それもそのはず正面側面三間の堂で、屋根は茅葺寄棟造と宝珠院とほぼ同じ造りです。和様と禅宗様が混用されて古材の保存状態も良いのが特徴です。建立年代は建築手法から室町時代末期と考えられていますが、その詳細ははっきりとしていません。
行き方
印旛歴史民俗資料館から徒歩約5分。
木造薬師如来坐像 薬師如来立像 七仏薬師
印西市松虫7 松虫寺内
指定年:1959年6月27日
平安時代初期の七仏薬師です。なんとこちらは木造。それがこの時まで残されていることに驚きですよね。33年ごとに開帳される貴重な像です。坐像と立像の組み合わせは珍しく、このような古い様式の七仏薬師は松虫寺と滋賀県の鶏足寺だけだそうです。
行き方
印旛日本医大駅から徒歩約20分。
日本国登録有形文化財
岩井家住宅主屋 (いわいけじゅうたくおもや) 旧武蔵屋店舗
印西市木下1645
指定年:2007年12月5日
造形の規範となる国の登録文化財として指定された岩井家住宅。江戸時代から明治にかけて木下河岸 (きおろしがし)で旅籠を営んでいた武蔵屋を明治末から大正初めに行われた利根川の堤防改修工事に伴い現在地に移築。
また、木下から東京に向けての鮮魚輸送や米・肥料商に関わっていたともされています。かつて「印西よかっぺ夢まつり」などをきっかけに「まちかど博物館」として市民に開放。現在もさまざまな用途に活用されています。
行き方
木下駅北口から徒歩約3分。