印西の歴史

印旛日本医大エリア【ちょっと昔の千葉ニュータウン開発記録】

印旛日本医大地区 (ここでは日医大地区と呼びます) の開発は、2000年に印旛日本医大駅が開業して以来急速に街づくりが行われました。

1994年 日本医科大千葉北総病院開業
2000年 印旛日本医大駅開業、いには野小学校開校
2005年 いんざいパルケ誕生
2010年 印西市と印旛村・本埜村が合併
2010年 成田スカイアクセス開業

2005年、いんざいパルケが生まれた当時は印西市と印旛日本医大地区のある印旛村・本埜村とは別々の自治体でしたので、いんざいパルケではあまり開発に関する写真のストックがありません。

今回は少ないながらも日医大地区のちょっと昔を感じられる写真と、私が知っている限りの記憶をご紹介します。

印旛村役場

印旛支所でももうすでにこの姿は見られません。

印旛村役場

このピカピカの立派な屋根に関して、当時印旛村に住んでいた知人から本当かどうかここでは書けない都市伝説を聞いています。

おしゃれな郊外タウン

当時、印西市民であった私から見た日医大地区といえば、

✔ いには野。
✔ 松虫姫。
✔ バリアフリーの閑静な住宅。
✔ 観光地にありそうなおしゃれな街。

のイメージでした。

その姿がこちら。

昔の印旛日医大エリア

いには野VARIO (ヴァリオ)

さまざまなという意味を持つスペイン語・イタリア語のヴァリオという商業施設を中心とする風景です。

観光地にありそうなおしゃれな外観。

ヴァリオ VARIO 印旛日本医大

この奥には見たことのあるロゴマークのお店があります。

ヴァリオ VARIO 印旛日本医大

写真は2010年。

ランドローム

そしてもうひとつ、三角お屋根がかわいい外観のランドローム日医大店。

ランドローム日医大店

写真は2002年。
ランドロームフードマーケットは、初期から千葉ニュータウンの台所を支えたスーパーです。当時の品揃えは都内の高級スーパーにも負けないほど輸入ものなども充実していました。

ランドローム日医大店

写真は2002年。
昨今勢いに乗った千葉ニュータウンに出店している商業施設とは異なり、開発の行き詰った時代でも、西白井・高花・そして日医大と出店したローカルソウルスーパー?です。
いろいろな理由から日医大店が閉店した後も木下店をオープンし、印西にその役割を置いてくれています。

その後は、同じく地元に根付いたナリタヤがこの地を支えてくれています。

舞姫の湯

わりと駅の近くにありました。
名前も素敵だし、今あったらどうだっただろうと考えてしまう舞姫の湯。

印旛日医大の舞姫の湯

写真は2010年。
那須塩原の「四季の郷」という泉源から、タンクローリーで2日に1回温泉を運んできていたというポリシー。

マンション

これまた三角お屋根のおしゃれなマンションが並びます。

印旛日本医大のマンション

写真は2010年。
気持ちの良い風とおいしい空気、整った街並みに視界も広く、大自然に囲まれた緑の眺望は都会では味わえません。
都会には都会の良さがありますが、印西のマンションには体験してみないとわからない良さがあると思います。

北千葉道路と成田新高速鉄道

2010年。国道464号線 (北千葉道路) の工事状況。
向こう側が成田空港です。線路はできあがっていますが、成田スカイアクセスの開業を目前にした景色です。

2010年の印旛日本医大の北千葉道路建設予定地

写真は2010年5月。成田スカイアクセス開業の2カ月前です。

この先の森には印旛中央開発計画というものも浮上していますが、どのような方向に進むでしょうか。