印西の歴史

「JR小林駅の昔ものがたり」|千葉県印西市成田線の歴史

昔のJR小林駅

小林駅 (こばやし駅)

昔のJR小林駅駅舎

開業

1901年8月 (明治34年)
木下駅のすぐ後にできた駅です。
120年以上の歴史を持ち、やはり当時はまだ利根川水運が盛んな時代でした。

周辺の水辺の景色も今とは異なっていたようです。
自動車はまだ庶民には手に入らない時代です。
旧駅舎はまるで牧場にあるような建物。かわいらしい白基調におしゃれな窓が付いた外観でした。

駅の計画場所は現在と違う

木下駅同様に「現在の駅の位置」と「当初の計画地」は異なりました。
当初は小林新田 (旧本埜村) 付近に設置される予定でした。現在でいえば将監川付近。
水運がメインの時代だったため、利根川のすぐ近くに。というイメージでしょうか。

地元の反対があって苦戦。一方で設置運動によって現在の位置に1901年 (明治34年) 8月10日に開業しました。

成田線屈指の行商の街

小林駅も印西市内の他の駅同様、設置当時は周辺に家もあまり建っていませんでした。
しかし、関東大震災頃の時代背景から行商の街として賑わってきました。

最盛期には、朝市場や組合の規模は成田線沿線で最大。最も賑わっていたようです。
その朝市の名残を最後まで見ることができたのがここ、小林駅です。

旧JR小林駅駅舎
なうまん教授
なうまん教授
写真は2005年じゃ。北口駅前にはタクシーがたくさん待機しておるのぅ。「商業の街として栄えた木下」と「印西牧や農業の歴史を歩んで賑わった小林」との関係も興味深いものじゃ。

成田線の起点は佐倉駅

「なりせん」などと呼ぶ人もいて、地元の人に愛されている印象が強い成田線。
少し話が脱線しますが、成田線は別称「我孫子線 (支線)」とも呼ばれています。

現在、成田線は常磐快速線に乗り入れて上野・品川方面 (上野東京ライン) に向かっていますが、そう昔でもない頃までは成田からそのまま千葉方面に向かっていました。
起点は佐倉駅です。

車両は今のようなエメラルドグリーンの通勤タイプではなく、横須賀色 (青とクリーム) のボックスシート。車内に灰皿が備え付けられていて、まだ扇風機が回っていたころです。

小林駅看板

そして佐倉駅起点ということから我孫子方面が下り電車
佐倉方面が上り電車となっていたようです。

時は数十年経て~

時代の変化は記憶すら変えてしまうほど急速に進み、鉄道を軸とする東京中心の波が押し寄せました。

常磐線沿線の快速停車駅松戸、柏には、昭和40年ころに百貨店が並び、早い段階で複々線化、そして15両編成化されました。

こうして成田線の利用需要は我孫子方面にシフトしました。
成田線 (我孫子線) は常磐線へ直通する電車となったのです。

そしてもうひとつ。

常磐快速線はJR東京支社の管轄になります。
※千葉県内の東京支社管轄は山手線と東京23区内・千葉県内の常磐線と南流山駅のみ。
対する成田線はJR千葉支社の管轄です。

ですからJR千葉支社が発行する千葉の観光情報に常磐線は紹介されていません。
我孫子線は千葉支社の管轄ですので、路線が途中 (東我孫子駅まで) でぶつ切りにされています。
この運行形態も特殊ですよね。

小林駅の生まれ変わり

木下駅と同じく120年の時を生きてきた小林駅。
老朽化とバリアフリー義務化の流れもあり、小林駅は建て替えという道に進みました。

新しくなったJR小林駅駅舎

昔の小林駅を知っているだけに新しくできたこの近未来的なデザインは衝撃的ですね。
そういえば気づきましたか?
旧駅舎の入口にあった「小林駅」という表札。新駅舎にも残されているようですね。ぜひ探してみてくださいね。

JR小林駅の看板サイン

しかしこれからまた長い歴史を刻みながら時代の変化とともに歩んでいって欲しいですよね。

そうそう、木下駅と同様に橋上駅ならではの風景を見ることができます。

小林駅から筑波山を臨む

木下駅からは西方に富士山が見え、小林駅からは北側にダイナミックにそびえる筑波山を臨むことができます。

 

記事投稿:2019年2月5日
記事更新:2022年10月12日