こんにちは。
みなさんは印西市の内野・原山というとどのような風景を想像しますか?
内野と原山は、千葉ニュータウン開発初期から千葉ニュータウン中央圏のみならず、印西市の発展を支えてきた地区です。
今回のテーマは地図から見る内野・原山エリアの昔と今の姿の移り変わり。開発当初から住まわれている方も、新しく引っ越してきた方も、外から千葉ニュータウンを見てきた方にも懐かしくも改めて見ると新しい発見ができる時間の旅です。
現在2021年3月。自宅にあった地図を開いてみます。
昭文社さんから許可をいただいていますので、今と昔の内野・原山周辺の違いを紹介します。さっそくですが下の写真をご覧ください。
いきなりレアな写真を持ってきましたが、位置関係を書きました。
一番左手前にカインズ。その向かい側が原山。
真ん中の奥の方は高花の郵政・ゆうちょデータセンター。
右側のにょきにょき伸びたビルあたりが内野。
手前はくら寿司があります。
ちなみにこのシリーズは千葉ニュータウン中央駅周辺や牧の原地区、印旛飛行場 (簡素に) も特集しました。
興味がある方はぜひご覧ください。
では、タイムトラベルスタート!
昭文社 1997年千葉県印西市の地図
上が印西市広域地図です。
地図のちょうど真ん中…あぁここにつなぎが入っちゃってるかぁ!というあたりから右の縦に流れる黄色い道路までが内野・原山地区です。
北総花の丘公園を横に分断する大きな道路を境に北側 (国道464号線側) が原山、
南側 (東京基督教大学側) が内野です。
原山の今「2021年」の姿
原山というえばみなさんご存じ県立北総花の丘公園は代表所在地が原山です。
2021年現在で、スーパーカスミがあります。
原山はもともと集合住宅の街でしたが、近年戸建て住宅地区が加わりました。
コストコやカインズモールなどが連なる泉地区にも徒歩で気軽に行ける便利な街です。
内野の今「2021年」の姿
北総花の丘公園の南側のほとんどが内野です。
東京基督教大学も内野。
内野といえば、千葉ニュータウン中央駅から徒歩圏の北総花の丘公園に沿った集合住宅群です。
この一帯は、千葉ニュータウンの特徴として広々とした敷地に芝生や緑が配置され、両サイドが広大な公園に囲まれた住環境バッチリのエリアです。
さて、今の姿を想像しながら地図をもっと拡大してみましょう。
下の写真は1997年~1998年の千葉県の地図から抜粋したページ。
1998年の内野・原山
これはほんの20数年前の姿です。
これを見て「え?気になる名前のスーパーがある!」「これまだなかったの?」というようなことを思う人もいるのではないでしょうか?
このころは、内野・原山・高花・木刈・小倉台は成熟し、これから印西牧の原の開発が始まるころです。
それでは変化の大きいものから小さいものまでご紹介しましょう。
道路
県道61号船橋印西線がない
現在は八千代市の国道16号線から鹿黒方面に一直線にほぼノンストップで走れる快適な道「船橋印西線」がありません。
内野の南西側には行けなかったのです。
ニュータウン南環状線が途切れている
印西牧の原から国道464号線の南側を東西に貫くニュータウン南環状線 (途中にランドロームや車のディーラーが並んでいる道) は、内野で行き止まりです。
ちなみにこの先の現船橋印西線の奥 (調整池の南) を行くと田んぼになっていました。
原山と泉を結ぶ橋がない
今はコストコやカインズへ向かう車で渋滞するこの橋。
ありませんね。
そもそも国道464号線も北側は開通していませんでした。
県道4号千葉龍ヶ崎線が変
県道4号千葉龍ヶ崎線。
八千代から木下に向かって走る道路です。
現在464号線と交わる橋は無く、長い間ひとつ奥の道路が本線でした。
今でいう八坂神社や高橋食堂がある道です。
当時から見ると、464号線のこのエリアには追加で3本橋 (県道61号・泉・新県道4号) が架かったということになります。
草深ICがない
北千葉道路本線と接続している草深ICはありません。
謎の橋脚
ついでに写真ではわからないもやもやスポットを言うと、北総花の丘公園の調整池隣には立派な橋脚がいくつも設けられています。現在も見ることができます。
あれ、何だろう?という話はいつかまた書きたいと思います。
商業施設
ダイエー
ダイエーといってもわからない方も増えてきたと思います。
ダイエーとは、かつて日本でトップにいた商業施設です。今でいうイオンやヨーカドーですね。昔はダイエー対ヨーカドーという構図でした。
そのダイエーの先進的施設が千葉ニュータウン中央駅南口にありました。
しかしここで話は終わらず、地図の通りダイエーは内野にもありました。
場所は今のくすりの福太郎や連なった商業施設がある駐車場の敷地です。
規模こそ小さかったので、当時は中央駅前をダイエー、内野のダイエーをちっちゃいダイエーと呼んでいました (個人的な話)。
当時は向かい側に、居酒屋、文具店、美容院、床屋がありました。
ここのくすりの福太郎は新設で、もともと原山のすぐとなり、旧県道4号千葉龍ヶ崎線の草深にありました。八坂神社があるあたりですね。
カスミがない
原山にあるカスミはありませんでした。
住宅地として完成しつつあった内野に比べると、当時原山は、まだ開発余地の残るエリアでした。
ローソン
印西に何で無いの?のローソン。
このころはけっこうあったんですけどね。
トステムビバホーム
ちなみに地図にはないですが、このローソンと書いてある場所の隣にはトステムビバホーム (ごめんなさい記憶があいまいで正式名称がわからない。)がありました。
ジョイフル本田ができる前の千葉ニュータウンのホームセンターとして重宝されました。
建物は今もご健在。
施設
北総花の丘公園がない
地図を見ると意外と意識しないで見逃しがちなのが、北総花の丘公園。
当時は原山の部分のみ工事中です。
バス停の名前がその当時は中央公園となっているあたり、計画的ですね。
船尾幼稚園
出身の方はいますでしょうか。
印西市内いろいろと幼稚園・保育園が統廃合しています。
内野にあった船尾幼稚園は現在ありません。
地図に書いてある位置で、ご近所の方は今何があるかわかるのではないでしょうか。
武田産婦人科・内野診療所は
あえて名前を出させていただきました。
千葉ニュータウンエリアでは昔から、それはもう長い間お産で頼れる存在であった武田産婦人科。
そして小児科からお世話になった人も多いのではないでしょうか、託児スペースがある内野診療所。
どちらも地域密着の医療施設として活躍しています。
このようにふと掘り返した地図からはさまざまな様子や想い、生活を想像することができて興味深いですよね。
たとえ古地図のようなものでなくても、ほんの数年前でもこれだけのものが見つかります。
まるで宝探しのように当時の姿と今住んでいる姿を比べて歩いてみるのも面白いかもしれませんね。
これを見て、少しだけでもこのニュータウン、そして印西への愛着が湧いてくれたら嬉しいです。
ありがとうございました。