印旛陸軍飛行場 (草深飛行場)
舞台は草深 (そうふけ)。現在の印西牧の原地区~高花地区にはその昔飛行場がありました。その名も印旛陸軍飛行場。
かつてこの辺り一帯はその名の通り深い草っぱらが広がっていたことで、最近まで「草深っぱら」と呼ばれていました。台地のため水の便が悪いこの地域を開拓するのは大変な苦労だったそうですよ。
さらにはひょうによる作物の被害も多かったそうで、この土地を開拓してきた方々は本当に大変だったと聞きます。その時に時代に合わせて広大な草原の立地を活用し設立されたのが軍用飛行場です。
飛行場の場所
東の原から西の原付近、ランドロームフードマーケットのあたりまでが、ちょうど飛行場の跡地だったそうですよ。
当時の滑走路は3本。長さは約2,000mもあったそうです。
現在は跡地としての石碑が残っています。
飛行場と養成所
この草深の飛行場には印旛航空機乗員養成所も併設されます。
素人ながら飛行場があると空港ができていたかもしれないという妄想がふとよぎります。
日本初の飛行場が埼玉県の所沢市だったと言われていますが、埼玉県は空港がありませんよね。やはり空港とはまったく切り離されて考えられていたのでしょう。
飛行場は全国各地にありましたし、成田空港が開港した時はすでに千葉ニュータウン構想が進んでいましたからね。
ちなみに国際空港は当初八街に作るという話もあったと聞いたことがあります (八街空港計画)。
当時の候補地としてはまったくあがっていないのですが、この大平原と高台、あながちあり得ない話でもなかったと考えられそうですが、実際は近くの木下や佐倉が栄えていたため空港になることはなかったのでしょう。