印西近隣スポット

国道464号北千葉道路と大町梨街道の歩み2024|千葉県市川市

 

2024年4月国土交通省が本年度中に北千葉道路の用地買収に着手すると発表しました。
北千葉道路の設計のほか、土地を国が買収していくための予算を含め約9億円計上しています。

私は北千葉道路の進捗記事を書いているのですが、外環道から鎌ヶ谷市の西側区間は、すでに市街地が広がっているばかりでなく、千葉県の名産を支えた梨園が多く、
その存在が北千葉道路の影響でどうなるのかわかりません。
とてもデリケートな話だと感じています。

 

千葉県は梨の名産地

梨の花:写真ACより梨の花:写真ACより

千葉県の都市部にあたる千葉県北西部。
意外にもこの地域は梨の名産地なのです。

桜の季節が終わるとすぐに梨の花が咲き、初夏には梨園のネットにカブトムシが集まっていることもあります。

市川市について

市川市と言えば、総武線市川駅や本八幡周辺、法華経の中山、行徳などを思い浮かべる人も多いかと思います。

印西市に絡めて言えば、きおろし街道でつながっていて、江戸の商人たちは三社巡りのために行徳ときおろしを経由したつながりがありますね。

市川市の中部北部にかけては、
千葉県の梨の産地発祥の地のひとつ
として伝えられています。

千葉の梨栽培発祥の地

市川ナンバーと船橋ナンバー引用・出典:市川市公式サイト、船橋市公式サイト

千葉県北西部は千葉を代表する特産を生み、そして品質の良い梨を全国に広めた場所として
地位を確立しています。
現に車のナンバープレートの絵柄には、市川市も船橋市も梨が描かれていますね。
市川市は梨の生産量が白井市に次いで第2位、鎌ヶ谷市は3位。
松戸市は二十世紀梨、発祥の地です。

地元民なら傷ものの梨でも十分美味しいものが安く買えて、私もそのシャキっとしたみずみずしさが好きです。
幸水と豊水、あさづき、新高など。
好みもそれぞれ。
いつも買いに行く梨屋さんで顔なじみ。
そんな夏の風物詩として千葉県北西部の内陸部は賑わいます。

国道464号は梨の産地

千葉県の梨の生産量ランキング引用・出典:千葉県公式サイト

先ほど梨の名産地ということで紹介した千葉県北西部。
その中でひときわ生産量が多いのが白井市。そして市川市と鎌ヶ谷市。
そうです、おおざっぱに言えば国道464号沿いになります。

ところで、みなさんは国道464号周辺の松戸市の高塚新田の梨園地区や大町梨街道というものをご存じでしょうか。
今回は大町梨街道にクローズアップしてお話を進めます。

Googleマップで航空写真を見ると、建物も無く
「何もないね」という印象を持たれるかもしれません。
でも一度車でドライブして回ってみることをおすすめします。
毎日通う道だとまた感じ方は違うとは思いますが、たまに通るとそこは立派な観光地のような雰囲気。

大町梨街道の名称は、書籍「大町をひらいた人々」に記載されています。

 

大町梨街道とは

大町梨街道引用・出典:市川市公式サイト

大町梨街道は、国道464号の大町エリアにある、梨の産地として有名な通りの通称です。

松戸市の高塚新田から続き、大町地区を中心に約50軒もの梨農家が軒を連ねています。

大町地区は江戸時代から梨の栽培が盛んで、昭和50年代ころから共同出荷とは別に
個々で梨の直接販売を行うようになり、梨直販店が並びました。
この道を「大町梨街道」と呼ぶようになったと言われています。

大●園が多い

道路沿いには「大●園」という大きな看板が並びます。
読み方がダイなのかオオなのかはそれぞれあるとは思いますが、
この「大●園」を見て、何かピンと思いだす人も多いのでは?
そうです。
子どもから大人まで楽しめる大きな娯楽施設「大慶園」も
もともと梨園でした。
そんな大●園は、この地域「大」「町」こその名称ですね。

北千葉道路計画と大町梨街道

話は戻りますが、北千葉道路の計画を見ると、
武蔵野線を越えたあたりから、大町小学校の南側と大町梨街道の北側を沿うように計画されています。

見方を変えると大町梨街道を避けるようにとも見えるでしょうか。
でも少なからず梨園の多くは影響があるかもしれません、その影響から派生して、
大町梨街道沿いや南側にどのような変化があるか。
千葉ニュータウンを抱える印西市民としてはなんとなく未来を想像してしまいます。

しかし私は印西市民です。

市川市の人たちや、梨農家周辺の人たちの本音がわかりません。
だから勝手なことは書けません。
「梨は管理が大変だからね」
「いやもう仕方ない時代でしょ」
「土壌や生育環境が変わってしまうのではないかって不安だよ」
「先祖代々受け継いで、生業としているのに仕事がなくなってしまうかも」
「新しい市街地が作られてしまい梨園に影響がありそう」
きっと、いろいろな思いがあるかと思います。

私の住む印西を見れば、
その未来を想像するのは難しくありません。

時代は変わっていきます。
でも、同じ千葉県民として、
そして少なくとも北千葉道路の延長線上にある印西市民として
印西市の人たちにも、
この大町梨街道の存在や記録を知っておいてもらいたい。
賛成とか反対とかは取っ払って
例えば遠い印西市民でも同じ県民として
新しくなりゆく地域とその歴史や魅力や成り立ちを知るということに
少なからず意味を感じました。

そんな思いで記事を書かせていただきました。

内容に心がざわつく部分があるかと思いますが、
どうかお許しください。

開発系の話題に限らず、
何か新しいことがはじまるということは、
何かしらの賛否の反応が生まれます。

何かを作るということは
同時に何かを壊すことにもなり得るからです。

「なんにもない所だね」といわれる土地でも
長年住んでいる方もいます。

生き物もいますし
そこに住み携わる人間よりも
永い年月で育った環境があります。

そこで生涯を送り、それぞれに物語があり、
生涯を終えた人もいます。

私は教科書には載らないその土地の
成り立ちや歴史が好きで、
例えまわりから田舎と言われても
その土地をリスペクトしたいという気持ちがあります。

そこに住む人たちやその土地を長年守り、
生業に携わってきた人への敬意と感謝を持ちたいです。

双方の意見や思いを互いに理解するきっかけを作り
そして次の世代へつなぐ
未来を見据えた一歩も必要なのかな。

北千葉道路が中途半端な形ではなく
しっかりした形でできることによって
むしろ他の路地への影響や抜け道利用の防止
周辺の乱開発の防止、渋滞の防止
大きく見れば環境汚染の防止になるかもしれません。

高度経済成長やバブル期の都市開発の波で
すっかり変わった千葉県北西部。
その中でもまだ豊かな自然や文化が残っているエリアです。

そしてそこで暮らす人たちや農家さんが、
今まで以上に生活道路を快適に使って
仕事に従事できるといいですね。

北千葉道路のせいでつぶれた、ではなく、
北千葉道路道路ができたおかげでその後も
安定して維持できる、
とてもおおがかりですが、そんな環境になれば理想です。

それぞれの立場や視点が集まって、
最適な道路になってほしいと思います。

結局はじめからおわりまで私の個人の感想でしかありませんでしたが
最後までご視聴いただきありがとうございました。

みなさんに感謝して終わりたいと思います。