印西の歴史

「地図でわかる印西牧の原地区のちょっと昔の姿」いんざいの昔話タイムトリップ

こんにちは。
みなさんは印西市の印西牧の原というとどのような風景を想像しますか?
「一大商業施設の集積…あ、あとはきれいな戸建て住宅。それからコスモス畑!」
今回のテーマは地図から見る印西牧の原エリアの昔と今の姿の移り変わり。開発当初から住まわれている方も、新しく引っ越してきた方も、外から千葉ニュータウンを見てきた方にも懐かしくも改めて見ると新しい発見ができる時間の旅です。

現在2020年4月。自宅にあった地図を開いてみると、そんなに昔ではないのにずいぶんと様相が違う印西市の姿に気づきました。
このたび昭文社さんから許可をいただいていますので、今と昔の印西牧の原駅周辺の違いを紹介します。さっそくですが下の写真をご覧ください。

ちなみにこのシリーズは千葉ニュータウン中央駅周辺や牧の原地区に関わる印旛飛行場 (簡素に) も特集しました。
興味がある方はぜひご覧ください。

昭文社 1997年千葉県印西市の地図

印西市の1998年当時の地図昭文社 クイックマップル 1997年

上が印西市広域地図です。地図の右下のほうが印西牧の原地区です。

もっと拡大してみましょう。
下の写真は1998年の千葉県の地図から抜粋した1ページ。

90年代の印西牧の原

あれ?茶色い太い線で区切られていて、滝野地区が真っ白。
別のページで確認してみると・・・。

下のページは本埜村・印旛村のページです。
大事なところが見づらくて申し訳ありません。

90年代の印西牧の原

あ、このころすでに滝野があります。

どちらかといえば印西牧の原の南側 (住所は割り振られていたところ) のほうが何も建ってなかった時代です。現在のルミエラガーデンズ、レイディアントシティなどのマンションはありませんでした。

1997年の印西牧の原

では、もっと見やすい地図で確認してみます。

90年代の印西牧の原

これはほんの20数年前の姿です。これを見て「!!」「え?なにこれどこがどうなってるの?」というような思う人もいるのではないでしょうか?

このころは、印西牧の原駅ができて2~3年後。開発も始まったばかりです。
使用している地図は1997年と1998年を混同していますが、ほぼ違いはありません。

それでは変化の大きいものから小さいものまでご紹介しましょう。

道路

国道464号線が片側だけ

現在は8車線整備されている国道464号線がなんと南側だけの2車線の相互通行です。
これは印西牧の原周辺に限らず千葉ニュータウン中央付近からずっとこの状態です。

ロータリーが無い

当時は駅も新しく、駅前開発はほとんど手付かず。北口ロータリーはありませんでした (駅から歩くことはできました)。南口も現在とは全く違う姿でした。

ジョイフル本田前の橋

1997年の地図を見ると少し変。西の原中学校の横の道路がそのまま北側につながっています。現在はこの橋はないはず!

あまり気にしていなかったのでもやもやしていますが、ジョイフル本田の真ん中向かいの国道464号線の横に橋をかけるための橋脚がずっと残っていました。
これは現在は北千葉道路が開通して撤去されています。

鉄道

住宅都市整備公団線

地図の端っこにちらりと名称が見え隠れしているのは、北総線の名前。
「住宅都市整備公団鉄道」。当時は住都公団 (現在でいうUR) の鉄道として運営されていましたので名称が異なります。細かいことを言うと北総線はいろいろ難しいところがありますが、ざっくりいうとそんな感じです。

終点が印西牧の原駅

当時の終着駅は印西牧の原駅です。その先は点線状態。

鉄道に関してはこちら

町名

本埜村・印旛村

印西牧の原のすぐ北東側の竜腹寺や滝野は本埜 (もとの) 村。南東側のマブチモーターの向かい側は印旛 (いんば) 村の造谷 (つくりや) です。

小林・別所・宗甫

この地図を見て今自分が住んでいるところの旧地名がわかります。この地図は本当に分かりやすいですよね。
印西牧の原駅北口は「小林」。その先は「別所 (べっしょ)」や「宗甫 (そうほ)」です。
ジョイフル本田は別所。
ちなみに南西側はざっくりごっそり「草深 (そうふけ)」です。
読めない地名がバンバン出てきますね。

滝野・西の原

当時街として完成されていたのが滝野。そして西の原。
どちらも今の印西牧の原を象徴そして牽引する美しい街並みです。

商業施設

ジョイフルもビッグホップもモアもない

当時は千葉ニュータウン中央駅前ですら、まだイオンモールどころかイオン棟 (当時のジャスコ) すら出店していませんでした。
もちろんジョイフル本田もありません。その大型商業施設分の空き地が一面草っ原だったわけです。

娯楽施設

ピクニック広場

モアもビッグホップも草原。その空き地一面にコスモス畑が広がっていた記憶がありますが、覚えている方いらっしゃいますか?地図でいう牧の原駅南口のピクニック広場。
当時は牧の原公園の芝生の広場もありませんでした。

千葉フライングクラブ専用飛行場

すみません。当時の詳細がわからず検索で出てくるものと一致しているのか確認できていませんでした。

習志野C.C.

当時、国民的人気芸能人たちがゴルフを楽しんでいた習志野カントリークラブは存在。
コースの7割ほどは「草深」で、クラブハウスは「大森」です。
余談なのに驚くのは、現在グッドマンビジネスパークでBMW入居棟が作られているところは住所が「大森」でした。

ワーナーブラザーズのテーマパーク

ここで紹介するほどのものではありませんが、当時はテーマパーク計画が持ち上がっていました。計画地は本埜村区域です。

公共施設

滝野小学校・中学校が(仮)

小中学校が仮でまだ開校していません。

草深小学校がある

2003年に廃校となった小学校です。1889年(明治22年)からはじまった長い歴史と草深という冠を持った歴史ある学校の廃校は少しもったいなかった気がしますが、時代のながれですね。

ここが今どうなっているかピンときた方も多いかと思います。

そうです、「そうふけふれあいの里」です。校舎をそのまま利用しています。

牧の原公園がない

先ほど少し触れましたが、牧の原公園の開園は1999年。あと1年ですね。
ただし、周辺のように駅前の道路が整備されていたわけではありません。

当時北側は滝野エリアは道路が整備されていましたが、牧の原公園の裏側 (地図でいう小林) やモアの向かい側はまったく整備されていませんでした。
というのも、公園も滝野側から開発されていった経緯があります。

その他

小林牧場は印西か本埜か

触れると荒れそうな部分ですが、今一度見づらい本埜村の地図の写真をご覧ください。

この写真の上のほうの小林牧場。実は本埜村ギリギリなのです。
これを見てハッと気づくかと思いますが、小林牧場の桜並木は本埜村の区域なのです。

だから当時は小林牧場を「印西市の桜の名所」としては大きく言っていなかったような・・。

もう好きな人はずっと見ていられるのではないでしょうか?
このようにふと掘り返した地図からはさまざまな様子や思い、生活を想像することができて興味深いですよね。
たとえ古地図のようなものでなくても、ほんの数年前でもこれだけのものが見つかります。
まるで宝探しのように当時の姿と今住んでいる姿を比べて歩いてみるのも面白いかもしれませんね。

これを見て、少しだけでもこのニュータウン、そして印西への愛着が湧いてくれたら嬉しいです。

ありがとうございました。